~隔たり~
〇はじめに
なんで刑事役が伊藤英明なんだろうと思ったけど、「クロスファイア」(2000) のイメージがあったんじゃないのかな。夏帆はすばらしいね、うん。なんだろ、すごく落ち着く。
〇想起する作品
「クロスファイア」(2000)「ソウ」(2004)
「グッドモーニングショー」(2016)
「64 ロクヨン」(2016)
「復讐したい」(2016)
〇こんな話
「殺人の告白」(2012) のリメイク。〇隔たり
被害者側の特には牧村の怒りや憎しみ、執念というものがあまり感じられないのが辛い。もっと泥臭く汚く撮っていいと思うのだが、なぜかっこよさスタイリッシュさを先行させたがるのか。かつて犯人を一番に追い詰めた刑事。取っ組み合いになる距離まで近づき肩に銃弾をぶち込んだ刑事。今や新人にはっぱかけてヤクザと全力疾走する刑事...
そんな男がなぜ時効成立の時間ギリギリにデスクで資料を読み漁っているのか。しかも捜査官全員。手当たり次第やれることはやり尽くしたのだろうし、今さら闇雲な捜査が意味を為さないことはわかる。深夜という時間的な問題もあるのかもしれない。しかし皆が皆同じ場所で何かをしてるというのはどこか必死さを感じられないのと、何よりあんたらは足で解決してきたと観せてたわけじゃない...
あまり家に帰らない人間で掃除ができない男にも関わらずが身なりに不潔感が無いどころか清潔的にすら感じてしまうのも頂けない。オリジナル版のジャージャー面はほんとに汚かった。こういうところこそ意識してほしいというか日本ならではというのを追求してほしかった。
捕まらない犯人、終わらない事件、報われない被害者、果たせない復讐、消えない傷跡。時間だけが過ぎていく、時代は移り変わっていく。この導入はうまかったと思う。止まったままの時間があるのだと。
しかし鑑賞者の謎解きへの理解を促したいのはわかるが、事件当時と現在とでの時間的(時代的)な隔たりをわかりやすく区別したり、伏線回収という名目でスムーズに浸透させてはいけなかった。時効成立の期限(正確には時効撤廃の対象期限)を強調しているが、このたった一日が重くのしかかっていることを意識させないといけない。犯人が捕まらないまま時効が成立し、さらには時効廃止の対象からも漏れることになるという二重の屈辱こそが日本版としてリメイクする上での強みになるはずだったのではないのか。時間だけが過ぎ時代は移り行くが被害者遺族はどこに取り残されているのか。これのおかげで作品の肝であるはずの事件の当事者と部外者とでの絶対的な壁が希薄になっている。
殺人に動機を見出させようとしたこともナンセンスではなかろうか。震災(自然災害)という動機の無いものによる被災者と、殺人という何かしらの動機があるものによる被害者という対比があったのだろうか・・・、犯人の動機を過去のトラウマ(PTSD)としたり、抱えている闇を描き出そうとしている。犯人に対してある種の同情を引かせる試み。戦争やテロが対岸の火事ではなくなりつつある日本という背景も考慮したのかもしれない。誰もが苦しみを味わうことになる可能性がある。犯人の姿は決して絵空事ではないのだと。
しかしこの動機のおかげで、被害者遺族の1人が勝手に終わらせてんじゃねえよとするラストにより煙に巻こうとした、なぜ犯人は闇を抱えつつ22年間何も行動を起こさなかったのかというところに意識を向かせてしまう・・・。
最近失言が問題視されたが、たまたまその場所で震災があったからというぶつけようのない被災者の憤りと、なぜ自分の家族が狙われなければならなかったのかという犯人へと向かう怒り。これだけの対比を念頭に置かせることができれば十分だったと思うけれど。
被害者遺族と通じていると最初に観せてしまったのも逆効果に感じる。自らもそうだが被害者遺族の想いを知っていてなぜ彼だけ執拗に犯人とされる人間を庇うのかという疑問ばかりが先行してしまう。繋がりを築いていたのなら全員共謀していたってよかったはずではないか。遺族の繋がりよりも彼独自の動機、刑事としての...自身の妹も...というところを先行させないといけない。
オリジナルと比較してというのもあるのだけれど、勢いとか熱さというものが段違いなんだよね。日本のサスペンス...として観ると全然及第点として観られるのか。また、まっさらで観られなかったことに少し後悔がある。
〇最後に
スタイリッシュ、スマート・・・、この辺りから脱却できないとこの手の作品は韓国には勝てないんじゃないかな。いや勝敗どうのこうのではないか。日本独自の路線を見つけてほしいね。ではでは・・・
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