~温暖化による水不足~


〇はじめに

 勝手に「ソーラー・ストライク」シリーズ第3弾!!

 原題:「DIE HITZEWELLE KEINER KANN ENTKOMMEN」

 勝手にシリーズでこの1作だけ現象に対する向き合い方が真面目過ぎてちょっと異質。この時期はドイツで温暖化に対する革新的な動きがあったのかな?



〇想起する作品

 「マイレージ、マイライフ」(2009)


〇こんな話

 ブンデスリーガを観ている方なら馴染みがあると思うが、ルール地方におけるお話...


 ドイツは100年前に水不足に陥り、水を巡って諍いが起こり、供給元であるルール川の汚染で疫病も蔓延したそうな。

 現在、上下水道のシステムが整備完備されたものの、温暖化(異常気象?気候変動?)に伴い水の消費量が増加。再び水不足の危機に陥る恐れがあるという...


 ざっくりとは、地球温暖化により水不足になる。


〇水不足

 上下水道の整備完備により、いつでも手に入る様になった水。生活用水...農業用水...工業用水...どこにでも必要な、必要不可欠な水。


 スーパーボウル(アメフト)でハーフタイムショーがあるのは、上下水道への負担を軽減するためという話があるが、それをドイツにおける超人気?スポーツのサッカーに置き換え魅せる導入は、危機感を煽るには十二分...なのだろうか?

 また所々で飲水(ミネラルウォーター?)を挿み、身近に存在する水への意識付けに始まり、普段見えないところでも大量に水が必要であることに目を向けさせる描き方は見事で、直近の天気が大雨続きとする楽観視から、フェヒナー博士が言う近い将来水不足になるかもしれないという不安への誘導は実にスムーズ。


 仮に水不足に陥ったら?とするシミュレーションがこの作品のメインとなり見どころなのであるが、博士の泥沼劇の描き方は如何なものか・・・

 公私混同や割り切れなさを描き出す事で、博士の理論(計画)及び理想と、問題の対処に当たる者たちの問題を余所に始まるイザコザや駆け引きと、否応なく事態や政策に見舞われることになる市民の生活の実際とのギャップを際立たせ、温暖化問題を投げかける狙いなんだろうけど、非常に見づらくないかね? 彼女を通して見つめる世界のはずが、彼女に拒絶感を覚えさせてしまっては意味が無いのではないかね?

 ドイツではむしろこれが正常なの?



〇最後に

 B級とんでもSF映画だと主人公の性格に問題ありで、家族関係にもまた問題ありでって描き方は珍しくなく、むしろそれと現象との同期でカタルシスへと持って行くってのは定石なんだけど、この作品は意図(ニュアンス)が違うからちょっとその点だけ評価できないな。ただ作品として現象との向き合い方は超絶真面目だから現実味はある。

 ではでは・・・

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