アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男 (2015)

2020年8月16日日曜日

2015年の作品 ジャンル:戦争 人物:アドルフ・アイヒマン 人物:フリッツ・バウアー 製作国:ドイツ

t f B! P L


~戦争と向き合う~


〇はじめに

 こういう作品をもっと観ていかないとな~・・・



〇想起する作品

 「ブラックブック」(2006) 
 「顔のないヒトラーたち」(2014)
 「手紙は憶えている」(2015)
 「検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男」(2016)


〇こんな話

 アイヒマンを追う。


〇戦争と向き合う

 家族や親戚との繋がりは直接描かれることは無くしかも仕事人間。最初の自殺未遂もたまたま運転手?が入って来なければ助からなかった。その自殺未遂を機に検事長という座を脅かそうとする存在が描かれる。バウアーという男の孤独や弱さというところが際立つ。そんな男がアイヒマンを追い詰める。


 バウアーは嘆く。戦争は終わった、悪は滅びたはずだ。しかし戦争が終わりましたで全てが清算されるはずもない。ユダヤ人であり同性愛者でもあることで戦後尚蔓延る差別が浮かび上がってくる。ナチの残党は各所でのさばり、ナチが残した負の遺産は法にまで及んでいる。

 ナチに屈した過去。戦後尚晒される差別。有耶無耶な戦後処理で罪を逃れた者が多くいる。復讐心はもちろんあるだろう。しかし彼はどこかで戦争という罪と向き合わなければならない向き合わせなければならないと立ち向かったんだ。何より次の世代のためにである。


 戦争が終わったから戦争という罪が清算されるわけではないのと同様、戦争犯罪人が裁かれたから、アイヒマンを捉えそこから芋づる式に引きずり出されるナチの残党たちが裁かれたからといって戦争という罪が清算されるわけではない。誰かに戦争という罪を着せ人柱にすることで自身の身の潔白を証明するのもこれまた同様だ。

 戦争という過去と、今なおどこかで行われている戦争と、これから迫りくる戦争と、どのように向き合っていかねばならないのか。


〇最後に

 改めて感じる、な~んも知らないんだよなと。そもそも知ろうとしていないんだよなと。だからといって食指が動くかと言われれば妥協魔だからなぁ~・・・

 ではでは・・・


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