~悪が善に、不道徳が道徳に~


〇はじめに

 私もあまり詳しくはないのだが「ブラックブック」(2006) 辺りを下地に、諸々の関連作品で戦中と戦後の情勢の変化とゴタゴタを頭に入れておくとスンナリ話に入って行けるんじゃないかな。逆にこの作品を入り口としても良いと思う。



〇想起する作品

 「セブン」(1995)
 「CURE キュア」(1997)
 「ブラックブック」(2006)
 「誰がため」(2008)
 「ハンナ・アーレント」(2012)
 「少年H」(2013)
 「顔のないヒトラーたち」(2014)
 「記憶探偵と鍵のかかった少女」(2014)
 「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」(2015)
 「手紙は憶えている」(2015)
 「ブレイン・ゲーム」(2015)
 「クリーピー 偽りの殺人」(2016)
 「検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男」(2016)
 「ダンケルク」(2017)
 「コントロール 洗脳殺人(2018)


〇こんな話

 銀行強盗殺人事件が洗脳によるものか否か?


〇誰もがパーレになり得る

 1951年のコペンハーゲン。ナチスのデンマーク占領から6年後が舞台...

 パーレという男が起こした銀行強盗殺人事件は、精神異常によるものか、それとも催眠術によりニールセンに操られたことによるものか?...

 銀行強盗殺人犯パーレを逮捕し一躍街の英雄となった刑事は、追跡に当たり犯人に命乞いをし見逃した(屈した)男であり、身重の妻との約束を反故にし無理をさせたことで死産させてしまった男である。


 元ナチを嫌う世間に対し、子を亡くして間もない妻は皆平等に訪れる死を以って元ナチも同じ人間だと憂う...


 強盗殺人犯のパーレは、「文化や国力を発展させるためには、昔に立ち戻るしかない」と今の社会を非難し、「ナチスは罪深いことをしたが、公平な社会を目指していた」と力説する。


 売春宿の男は刑事たちを見るなり借金取りと勘違いし逃げ出し、また彼は外見にこだわり(コンプレックス)を持っている。


 対し、精神医学博士マックス・ダブロウスキーは刑事の訪問に一切動じることなく流暢に対応する。彼は白髪や禿げを恥じることなくむしろ誇らしげにまとめ上げている。


 また博士の部屋を笑顔で後にする男と、(ニールセンに傾倒し)博士を胡散臭がる東洋哲学を専攻する刑事の妻。


 警察の捜査及び関係者の証言から見えてくるニールセンの実像と、妻がニールセンに抱く印象。


 主人公が抱える父親への払えぬ疑念...、なぜ仕事を続けたのか? ナチに協力したのか?



 宗教(信仰)の象徴としての十字架と、暗示のサインである鍵十字...



 戦中ナチスの名の下に行われた残虐非道の数々と、戦後横行した正義...

 同じ時代に生きる、同じ歴史を背負うはずの、同じ人間たちによる、1つの事実に対して異なってくる見解に価値観。そして全く異なる事象の様にあって、その実通ずるモノを描き出し問う...

 誰もがパーレに、誰もが悪になり得るのではないのか?...と。

 パーレという男は理解できないモノなどでは決してなく、我々であるかもしれないのだと。


 パーレを逮捕して終わりではない、パーレの暗示を解いて終わりではない、ニールセンを逮捕してもまだ...

 鉄格子の内側と外側は...、悪が善に、不道徳が道徳に、人は誰しも操られるもの。思考をやめてはならない、思考し続けなければならない。破滅に至らぬように...


〇余談

 主人公のピルー・アスベックがマイケル・シャノンに似てる。



〇最後に

 「ハンナ・アーレント」(2012)、「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」(2015) へと通じる(...というより派生かな?)お話であるので興味がある方はそちらも是非。

 ではでは・・・



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