スーサイド・ライブ (2017)

2020年8月24日月曜日

2017年の作品 ジャンル:ドラマ 製作国:アメリカ 題材:自殺

t f B! P L


~手段の目的化~


〇はじめに

 皆心に余裕が無くなってきてるよね。



〇想起する作品

 「レベル・サーティーン」(2006)
 「アメリカン・ヒーロー」(2015)
 「NERVE ナーヴ 世界で一番危険なゲーム」(2016)
 「スケア・キャンペーン」(2016) 
 「マネーモンスター」(2016)
 「FINAL CUT」
   ・・・環奈ちゃん出てるヤツ。


〇こんな話

 地上波で自殺とか超流行りそう。



〇手段の目的化

 募金額より出演者たちの出演料の方が多かったりと以前から偽善番組だ何だと話題をさらっていたが、遂に表立って(裏番組でも)感動ポルノだと揶揄された番組があった。障碍者を出汁にお金を数字を稼ぎ出すことが目的になってしまっていると...

 その番組にもかつては...当初は、掲げていた偉大な目的があったはずだ。それを達成するべく目標を設定し手段を講じていたはず。しかしどうしてかそれが段々と薄れ、目標でしかなかったはずの、手段に過ぎなかったはずの金儲けが、そして感動の押し売りこそが目的に成り下がってしまった。


 このスーサイド・ライブという番組も、当初は見向きもしない見ようとしない真実...いや現実を映し出すことが目的として掲げられていた。真実を覆い隠す嘘が蔓延る業界に一石投じるのだと。自殺も金もただの手段に過ぎなかったんだ。

 しかしそれが段々と金儲けに、自分の名声と影響力に酔いしれるためのものに、そして単に他人の死に様を楽しむだけの番組に成り果てる。マンネリを打破すべく真実を余所により過激に、より魅せることにばかり執着し始める。

 人は慣れる。如何に刺激的だろうと。そしてまたその刺激を追い求める様になり、さらに強い刺激でなければ満足できない様になる。妹の薬物依存はスーサイド・ライブにハマってしまう者たち(番組制作者及びイチ視聴者)の暗示でもあるのだろう。


 他人の現実など所詮自分にとっては非現実に過ぎず、且つ死に様となれば一番に自分の現実から遠いところにあるものである。現実問題を投げかけていたはずの番組が実は直面している自らの現実から目を背けさせ、一時の虚構(快楽)に耽るためのものでもあったのだ。

 しかしその死とは紛れもない現実だったのだと自らに振りかかる不幸によって突きつけられる。当初掲げていた現実を映し出すという目的を完遂することなく、ただただ妹の死を受け入れられず、自らに陶酔していた大衆に対し「撮るな」と悪態をつくしかないアダムの姿は、一番に現実から目を背けようとしていた者は誰なのかを物語る。


 何とも皮肉めいたラストだが、やらない善よりやる偽善...とも言う。仮に偽善であったとしてもそこに救われた人間が少なからずいるのではないか。やらない善から何も生まれないよりも、仮に偽善であったとしても行動を起こすことで救われる人間が生まれた方がマシなのではないか。

 いや、それすらもまた現実に直面しようとしないさせようとしない者たちの傲りであり欺瞞であるのかもしれない・・・


 妹の死では終わらず、生きた人間メイソンが投げかけた言葉で皆現実と向き合おうとする構図も狙っているのか。結局大衆はラストもまた踊らされている様にも見える。スーサイド・ライブが一時のカンフル剤として機能しただけの様に、一筋縄には行かないラストの様にも想える・・・

 何にどのように向き合っていくべきなのか・・・?


〇最後に

 ん?番組名はThis Is Your Deathだったかな? スーサイド・ライブは単なる邦題か…

 これくらいインパクトのあることをやらないと現状は変わらないとする社会への皮肉があるんだろうね。そしてこんなことをして変えたところでその先に待つのは…という警鐘と… 少しずつ少しずつ地道に向き合っていくしかないよね。

 ではでは・・・


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