~無実無害の子どもを殺すということ~


〇はじめに

 この人「ザ・ハリケーン」(1999) の人か。



〇想起する作品

 「ハロウィンⅢ」(1982)
 「ゼイリブ」(1988)
 「洗脳」(1998)
 「カンパニー・マン」(2002)
 「ブランデッド」(2012)
 「マインド・エスケープ」(2014)
 「ベイビー・キャッチャー」(2017)
 「CHUCK」
 「相棒」シーズン8 第16話 『隠されていた顏


〇こんな話

 ジョン・キューザックはどうなってんのよ・・・



〇マインドコントロール

 「人を殺すということがどういうことなのか?」という認識…倫理観なり道徳観なり…が備わっている人間には、マインドコントロールといえど一方的に殺人を行わせることは不可能だと言われる。そこでその枷を取っ払うために、相手を殺さなければ自身の身に危害が及ぶ恐れがあると強迫観念を刺激する。

 何かしらトラウマがあるのだろうか、家で独り暗闇に怯える主人公。彼女は侵入者の存在を確認し包丁を握りしめる。自身に危害が及ぶ可能性を考慮した末の身を守る行為に違いないが、そこには相手に危害を加えることも厭わないという意志もまた介在している様を見る。つまり彼女は自身を守るために誰かを殺し得た、という証明である。


 劇中ではマインドコントロールの完了を「とある子どもを殺す事」としている。自身の命を脅かす対象は殺し得たかもしれないが、自身に危害を加える恐れの無い対象はどうだろうか・・・

 養子縁組か?自然妊娠か?とカフェで周囲の目を気にしながら物思いにふけり、養子縁組に関する資料に目を通し始める主人公。彼女には何かしらの後ろめたさがありそれを普通ではないとする認識があるが故にそれを行動に移すことを憚っている。しかしこれは普通であるとする認識に変わってしまえば特に躊躇うことなくそれを行動に移せることの裏返しでもある。要は認識をイジるというお話で・・・


 そして最後に闇を堕とす、マインドコントロール以前に起きてしまった彼女が病むきっかけとなった事故(事件なのかな?)。彼女の行動が死に直結していない、意図せずそして無意識に最愛の我が子の命を奪っているという事例。

 そういった事例を排除するために諸々の設備が完備されたマンションを購入したが、それは何に利用されたかというと・・・

 そして正反対なアナログな家でベビーモニターの電源が入らないという夫。

 命を奪うことを突き詰めた末に見る、命を守る事への不安…母親という不安へと昇華される。



〇最後に

 自分自身と周囲とでいったいどちらが正しいのか(普通なのか)と揺れ動く様で、マインドコントロールによって如何に殺人を遂行させるか?というアプローチを意外にコツコツやっているんだけど、それにアプローチする上での基本的な理解がこの作品単独では厳しい面がありこういったネタの周辺作品ありきなところがちと残念なところか。

 ではでは・・・

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