~ブギーマン~
〇はじめに
ず~っと思ってたんだけどさ、アメリカの田舎町における家の窓やドアって何でこんなに頼りないの? いろいろと薄っすいよね。雨戸とか鉄格子とかそういった概念を持ち込まないの?〇こんな話
マイケル・マイヤーズ爆誕。〇ブギーマン
とある女性を殺すに至るまでの場面が1人称視点において展開される事から作品は始まる。家を外から捉える画、覗き込む画、家に侵入する画として外部犯を匂わせる。凶器を手にし、落ちていたマスクを被り…典型的な猟奇殺人鬼を想わせる。しかしその女性が犯人に対して告げる名前にて誰の犯行なのかを認識させ、家の外に出たところでまた別の人間に改めてその名前を告げさせ、さらには三人称視点においてはっきりとその姿を映し出す。この反転及び段々の構造が実の姉を殺したマイケルという少年の確かな異常性を際立てる。
ただ、実の姉を躊躇なく殺せど、これが子ども故の無垢さから来るものでいずれ解消される可能性のあるものなのか、子どもですでにこの異常性故に成長したらより抑制が効かなくなるものなのか、といった判断がつかない。おそらくそれの補完として精神科医が伴っている。そして繰り広げられる…
いやお面を被る行為ってのがマイケルの少なからずある迷いの心理が見えるものなのかな?
マイケルという襲う側の身になることで自身がどんな人物であるのかを自覚させていったオープニング。それをこれから襲うであろう対象を三人称視点においてマイケル側から眺めさせる事で繋ぎ、今度は逆に襲われる側の身になってマイケルという殺人鬼を認識していく様に転換させたのは見事で。それとは別に精神科医を発端にそして同時進行でマイケルという人物の認識が描かれることで、じわじわとそして確かに忍び寄って来ている狂気をまた一段と際立てている。
〇最後に
音楽が嫌だったわ~で、ハロウィンって何なの?
ではでは・・・
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