~些細な事には目をつむる~


〇はじめに

 復讐の動機や復讐の完遂における犯人の覚悟は伝わるけど、これじゃあただただ警備員が可哀そうだよ(´・ω・`) 予期せぬ行動だったのだとは思うが、彼らは予期せぬ事故で大切な人間を失った者たちだ。およそ関わりの無い人間が車に轢かれるカタチで巻き込まれてしまうってのはどうにも納得できんよ・・・、何かしらフォローはしてあげてよ。


〇想起する作品

 「オールド・ボーイ」(2003)
 「ゴーン・ガール」(2014)
 「サボタージュ」(2014)
 「パーフェクト・ルーム」(2014)


〇こんな話

 妻は生きている。


〇騙される心理

 「パーフェクト・ルーム」においても少し書いたのだが、推理というものはひたすらなる前提の積み重ねである。映画という媒体上鑑賞者としては事象現象の正確性や整合性を確かめようがないので、正確には憶測の積み重ねということになるわけだが。

 1,〇〇である

 2,もし〇〇であれば✖✖である

 3,もし✖✖であれば△△ということになる

 4,もし△△であれば・・・

として真実へと通ずる道を切り開いていく。積み上げるとしているから真実への階段を築き上げるとかにしておくか・・・ 土台となる確定事項を定めなければ次の段階には進めない。そうやって推理を飛躍させていくのである。


 作品の始まりは警備員が轢かれた交通事故であるが、劇中の主題はとある女性の死を起点にしている。とある女性の死。そしてその女性の死体が消えたのだとか…

 1,とある女性は死んだ

 2,とある女性の遺体が消失した

という事実を形成されることになる。

 しかしここでこの作品はこの事実をひたすらに曖昧にする。実はまだ女性は生きていたのではないのか?…と。女性の死と生との状態を混在させる。推理する上での前提を構築させてくれないのだ。構築できたとしてもどこまでその前提を信用できるのか。まぁ死んでるんだけど・・・

 1,女性は生きているかもしれないし死んでいるかもしれない

 2,女性は生きて死体安置所から脱出したのかもしれない、いや死んでいて遺体は盗まれたのだ


 こうなってくると後付け後出しで何とでもなるだろうと反感を買いやすいが、死んだ妻のことを過去形で話す容疑者を印象付けた後、妻の死を今でも受け入れられないとする刑事を描く事で、単なる謎解き要素だけでなく動機として死と生が混在する曖昧な状態をうまく補完できている。

 死んだ妻のことを過去形で話す男(容疑者)と、妻の死を今でも受け入れられないとする男(刑事)との対立において、とある女性の死と生が混在する曖昧な状態を構築し、妻に死んでいてほしい男が妻の死を受け入れられないとする段階を経て、妻に生きていてほしい男へと通じさせる。見事だった。



 ただね、はじめにも書いたけど警備員さん可哀そ過ぎるよ・・・

 予期せぬ行動だったのだろうとは思うよ。でもあんたらも予期せぬ事故で大切な人間失ってるんだろ?

 まぁでも容疑かけられた人間は金持ちだから多額の賠償が入るなり一応救いの兆しはあるのかな? でも死んだよな??


〇最後に

 警備員さんのことは些細な事じゃないよな~・・・ 私が見逃しただけで何かしら補完されてましたっけ??

 あ~そうそう、この子は不思議な感じがするね。


 ではでは・・・

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