ディストピア パンドラの少女 (2016)

2019年10月5日土曜日

2016年の作品 ジャケ:行進 ジャンル:ホラー 製作国:イギリス 病変:ゾンビ

t f B! P L

~新世界の覇者~


〇はじめに

 「ブレードランナー」よりこっちの時代の到来の方が早いんじゃないかな・・・



〇想起する作品

 「猿の惑星」
 「宇宙人王さんとの遭遇」(2011)
 「オートマタ」(2014)
 「セル」(2016)
 「ブレードランナー2049」(2017)


〇こんな話

 パンドラの箱、シュレーディンガーの猫・・・



〇新世界の覇者

 ゾンビとはその時代における何かの象徴だったり、最近では真に恐ろしいのはゾンビではなく人間であるってな話に落ち着けていたりするわけだがこの作品はというと・・・


 どこか被害者感情が先行しなかったか?

 人間とゾンビとを比較した場合に、人間がゾンビを隔離及び治療する、もしくは駆逐するという選択が見て取れるわけだが、これは人間を上位に位置付けるが故のものである。ゾンビは病気であり、異質であり、劣っているものであると。  

 これは現状人類が地球の覇権を握っていると自負しているからに他ならないわけだが、実はこの人類が頂点に君臨している現象は来るべき変化ないし進化へと向けた一過性のものでしかない。我々は決して進化の果てではないのだ・・・

 我々は単に種全体で組み込まれたプログラムを基に行動しているに過ぎず、人類自らが道を切り開いているわけではなく、つまり現状の生態系は見えない力によって管理されているものなのだ。


 ジャスティノー先生がハングリーズの子どもたちに対し授業を行う場面が最初に描かれるが、現状基本的には人類の大人から人類の子どもへと教育が施されている。これはざっくりとは世代交代を円滑に行うためで、次世代への橋渡しのためである。

 何にでも興味を示し知的好奇心が旺盛なメラニーを中心に据えることで、この教育の本質がラストに効いてくるわけだが、決定的な違いは人類から人類への橋渡しではなく、人類からハングリーズへの橋渡しとなっているところだろう。

 これにより人類が地球を支配する時代が終わりを告げ、ハングリーズが地球の覇権を握る時代へと移行したことを浸透させようとしている。進化及び生態系の変遷というところを教育をベースに構築したのはすばらしかった。



〇最後に

 猫派の方…気を付けてください。犬派の方も気を付けてください。


 ではでは・・・


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