~次世代~
〇はじめに
私にとってステファニーと言えば「フルハウス」でしてね。大谷育江の吹替えも相まってそれはそれは可愛かったよね。〇想起する作品
「キャリー」「X-MEN」シリーズ
「光る眼」(1995)
「洗脳」(1998)
「レイクサイド マーダーケース」(2005)
「デタッチメント 優しい無関心」(2011)
「LOOPER」(2012)
「レッド・ライト」(2012)
「MAMA」(2013)
「はじまりへの旅」(2016)
「バーチャル・ウォーズ」(2016)
ミキサーの刃が動くかを確認している。
高いところにあるお目当ての物を取ろうと・・・
・・・。
ここで彼女には床にガラスの破片が飛び散ってあぶないという認識がある。
にも拘わらず、欲しかったのは中身だからね。
にも拘わらず、おいしそうだとついついね。
彼女はミキサーを準備した際にミキサーの刃を認識していた。 動かない? うん、それが一番手っ取り早い。
ジュースを飲んだことで満足し、
ここでもまでガラスを認識している。
しかしカメさんに気が行くともうダメ。
彼女の頭の中には床に飛び散ったガラスの破片など無くなっていた。
つま先立ちというのは危ないという認識だけでなく、背伸びって意味合いもあったのかな?
刃を認識していたとしてもそれがどういったものかは理解できていないとも考えられるのか。ジュースを作る上で都合よく混ぜてくれるものであるけれども、それがなぜ混ぜられるのかは理解していないと…
無邪気故の執着、そして不注意、無頓着に無関心、無知、・・・その中に垣間見る母性、そのすぐ裏にある恐怖そして残忍性。
子どもだけで完結させる生活風景から見えてくる子どもの持つ良くも悪くもある意外性に独創性。そんな予期せぬ行動の数々は、驚きと発見の裏側で常に危険に満ち満ちている。
しかし両親の出現(帰還)により危うさを孕んだハラハラドキドキ生活は終わりを告げる。
ステファニー独りの時だからこそできたことが両親という制限によりできなくなり、独りでもできたことはよりスムーズに行える様に、逆に独りだからできなかったことが両親のサポートによりできるようになる。
自由に制限が設けられた一方で、無秩序に秩序がもたらされたとも言える。
ステファニー独りの時の生活と、両親の帰還によって為される家族での生活と、そしてステファニーを余所に目論まれる大人の都合と…から見えてくるモノ。
この作品は子育てや教育というものへの見直しを図らせようとしているのではないか…
子ども自身の意思と大人の都合との折り合いをどのように付けていくべきなのだろうか…と。親は子どもに対してどこまで制限を設け、どこまで介入すべきなのか…。
放任主義だといって一切手をつけないのが良いのか、いやガッチガチにレールを敷き詰めてその上を歩かせるのが良いのか。これってのはそれぞれの家庭に委ねられる至極曖昧なものであって。ただ家庭ばかりにそれを委ねていたら教育格差は広がる一方で。
ではその格差はどのように是正できるのかと。是正するとしてどの基準に合わせるべきなのかと。そもそも生まれながらに格差が存在しているわけで。晒される環境によってその格差はまた広がって。しかしその中でも個人差ってのはあって然るべきで、また尊重するべきで。でも尊重したらしたで…
それでいて家族の形態や学校という場の位置づけ、そして教師という立場の変化もあり、子育てや教育といった分野は連携がとれにくくなっていたりどこか互いに触れにくくなっている問題でもあるからまた難しく…
・・・アメリカの現状はどうなんでしょうね?
そんな変化の中で説く子育てや教育の重要性。
子どものまま大人になるということはどういうことなのか?
勉強ができるできないということではなく、善悪の判断が利くか、感情をコントロールできるか、理性を保てるのかといったところでだ。各々が各々の本能や欲望の赴くままに生きることをしたら世界はいったいどうなるだろうか?
キレる若者というのが一時期話題になったり、昨今も感情をコントロールできず他者に攻撃的な振舞いをする方たちが若者だけでなく世間を騒がせている。そんな者たちがのさばる社会にどんな未来を描く事ができるだろうか?
今ある世界というのは当たり前に存在している様に見えて、内実世界を滅ぼし得る力を持ちながらもその均衡を保てるだけの理性が働いているが故のものとも言える。
無垢故の慈悲深さ、無垢故の残忍さを持ち合わせ、どちらにも傾き得る子どもたちの未来を…
次世代に世界を残すために、次世代が世界を崩壊へと赴かない様に…
子育てや教育という分野を今一度考えていかなければならないのではなかろうか…
ではでは・・・
「LOOPER」(2012)
「レッド・ライト」(2012)
「MAMA」(2013)
「はじまりへの旅」(2016)
「バーチャル・ウォーズ」(2016)
〇こんな話
独りでできるもん!!〇子どもは天使か?悪魔か?
ステファニーは何かジュースを作る様で、ミキサーの刃が動くかを確認している。
高いところにあるお目当ての物を取ろうと・・・
・・・。
ここで彼女には床にガラスの破片が飛び散ってあぶないという認識がある。
にも拘わらず、欲しかったのは中身だからね。
にも拘わらず、おいしそうだとついついね。
彼女はミキサーを準備した際にミキサーの刃を認識していた。 動かない? うん、それが一番手っ取り早い。
ジュースを飲んだことで満足し、
ここでもまでガラスを認識している。
しかしカメさんに気が行くともうダメ。
彼女の頭の中には床に飛び散ったガラスの破片など無くなっていた。
つま先立ちというのは危ないという認識だけでなく、背伸びって意味合いもあったのかな?
刃を認識していたとしてもそれがどういったものかは理解できていないとも考えられるのか。ジュースを作る上で都合よく混ぜてくれるものであるけれども、それがなぜ混ぜられるのかは理解していないと…
無邪気故の執着、そして不注意、無頓着に無関心、無知、・・・その中に垣間見る母性、そのすぐ裏にある恐怖そして残忍性。
子どもだけで完結させる生活風景から見えてくる子どもの持つ良くも悪くもある意外性に独創性。そんな予期せぬ行動の数々は、驚きと発見の裏側で常に危険に満ち満ちている。
しかし両親の出現(帰還)により危うさを孕んだハラハラドキドキ生活は終わりを告げる。
ステファニー独りの時だからこそできたことが両親という制限によりできなくなり、独りでもできたことはよりスムーズに行える様に、逆に独りだからできなかったことが両親のサポートによりできるようになる。
自由に制限が設けられた一方で、無秩序に秩序がもたらされたとも言える。
ステファニー独りの時の生活と、両親の帰還によって為される家族での生活と、そしてステファニーを余所に目論まれる大人の都合と…から見えてくるモノ。
この作品は子育てや教育というものへの見直しを図らせようとしているのではないか…
子ども自身の意思と大人の都合との折り合いをどのように付けていくべきなのだろうか…と。親は子どもに対してどこまで制限を設け、どこまで介入すべきなのか…。
放任主義だといって一切手をつけないのが良いのか、いやガッチガチにレールを敷き詰めてその上を歩かせるのが良いのか。これってのはそれぞれの家庭に委ねられる至極曖昧なものであって。ただ家庭ばかりにそれを委ねていたら教育格差は広がる一方で。
ではその格差はどのように是正できるのかと。是正するとしてどの基準に合わせるべきなのかと。そもそも生まれながらに格差が存在しているわけで。晒される環境によってその格差はまた広がって。しかしその中でも個人差ってのはあって然るべきで、また尊重するべきで。でも尊重したらしたで…
それでいて家族の形態や学校という場の位置づけ、そして教師という立場の変化もあり、子育てや教育といった分野は連携がとれにくくなっていたりどこか互いに触れにくくなっている問題でもあるからまた難しく…
・・・アメリカの現状はどうなんでしょうね?
そんな変化の中で説く子育てや教育の重要性。
子どものまま大人になるということはどういうことなのか?
勉強ができるできないということではなく、善悪の判断が利くか、感情をコントロールできるか、理性を保てるのかといったところでだ。各々が各々の本能や欲望の赴くままに生きることをしたら世界はいったいどうなるだろうか?
キレる若者というのが一時期話題になったり、昨今も感情をコントロールできず他者に攻撃的な振舞いをする方たちが若者だけでなく世間を騒がせている。そんな者たちがのさばる社会にどんな未来を描く事ができるだろうか?
今ある世界というのは当たり前に存在している様に見えて、内実世界を滅ぼし得る力を持ちながらもその均衡を保てるだけの理性が働いているが故のものとも言える。
無垢故の慈悲深さ、無垢故の残忍さを持ち合わせ、どちらにも傾き得る子どもたちの未来を…
次世代に世界を残すために、次世代が世界を崩壊へと赴かない様に…
子育てや教育という分野を今一度考えていかなければならないのではなかろうか…
〇最後に
「はじまりへの旅」で初めて観たけど、この子うまいし怖いわ…ではでは・・・
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