サベイランス 監視 (2001)

2019年12月4日水曜日

2001年の作品 ジャンル:サスペンス 製作国:アメリカ

t f B! P L


~アイデア~


〇はじめに

 モデルはビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズかな。ゲイツが悪者ね。



〇想起する作品

 「バトル・オブ・シリコンバレー」(1999)
 「スペース・ライン」(2012) 
 「スティーブ・ジョブズ」(2013)
 「パワー・ゲーム」(2013)
 「エージェント・ライアン」(2014) 


〇こんな話

 アイデアを目に見える形にする時代から、目に見えないところへと組み込む時代へ。


〇人間の知識は世界の財産

 頭の中で何を考えるも自由である。誰にも制限できるものではない。される筋合いもない。この誰しもが頭の中に何かしら持っているアイデアというものが1つテーマとしてある。

 しかしこのアイデアというものは、結局は個人の漠然としたイメージでしかなく、それが評価されるには他者も見ることができる何かしらのカタチに現さなければならない。自分の中で如何に優れたモノであろうと、他者と共有できなければそれは何の価値も無いモノと判断されるわけである。

 そのカタチというモノがその人間の努力の結晶なわけだが、その努力という労力とカタチにした結果というものが釣り合う(比例する)かどうかはまた別問題で。よく芸術家かなんかで死後作品の評価が改められるなんてのは聴くと思うが、ざっくりとはニーズの問題である。まぁそんなことはどうでもいいのだが・・・

 電話の発明(特許申請)がベルとグレイによりほぼ同時に行われたというのは有名な話で。劇中の人物ゲーリー・ウィンストンはただアイデアをパクっていただけであるが、その時代のニーズを考慮すればアイデアが同じようなカタチになって現れるのもそう珍しいことではないのだろう。ここの引っ掛かりの解消として描かれるのが思想の対立で。

 「シンクロニシティ」(2015) という映画でかじったのだが、エジソンとニコラ・テスラには科学技術に関する意見の相違があったとかなんとか。特許による自己利益の独占と安心安全無償提供とで。手に入る人材は手に入れ、手に入らなければアイデアだけ盗み取るゲーリー・ウィンストンという男の姿勢と、テディというマイロの相棒のオープンソース云々の思想の対立がこれを想起させる。

 要は知的財産権がどこまで適用されるのかと。ゲイリーが持ち寄ったモノに対してマイロが関心と驚きを見せるとともに誰が作ったモノなのか?と必ず問うのはそれの示唆だろう。そしてそんなことはどうでもいいとするゲーリー。

 人がアイデアを生むわけであるが、まだカタチを見ない(見せない)アイデアは一体誰のものであるのか、あるべきなのか。特許によりその人のアイデアが守られるとして、その恩恵は誰が受けるのか、受けるべきなのか。守られるべきは誰の利益か・・・



〇余談

 このプリングルスってなんかビル・ゲイツのネタであったのかなって思ったんだけど・・・


 一番はここなんだろうね・・・


  独り貪り食うゲーリーと、誰もが手に取りやすい器に盛りなおして、誰でも食べられるようにしているという比較。利益独占とオープンソースとってな対比なんだよね。この姿勢は彼女の最後の行動にも見て取れるわけだからうまかったね。


〇最後に

 アイデア・・・



 これは愛のイディアか・・・

 ではでは・・・

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