~走馬燈~
〇はじめに
カメラや写真というアイテムを意識させることで、男女の出会いから別れというところに段々とフォーカスを絞っていき最後それにピタリとピントを合わせたのは理解を示したいところだが、そのアイテムの性質であるフレームの内外や焦点の当て具合により醸し出される芸術性を踏まえさせられても尚、全体像がボヤけたまま終わるのは少々モヤモヤする。〇想起する作品
「Re:プレイ」(2004)「ファイナル・カット」(2004)
「ステイ」(2005)
・・・これを観ると良いと思う。
〇こんな話
恋人との別れを受容するまで・・・〇走馬燈
彼女は自らの死を受け入れられなかったというわけではなく、何より恋人との別れを受け入れられなかったというお話。人間は死の間際に、正確には死ぬという実感に囚われた時に走馬燈を見るとされている。理由の1つにその状況から如何にして抜け出そうかとあらゆる経験(記憶)から打開策を検索しているとかなんとか。過去だけでなく未来も見えるという話もあるそうだ。そして単なる主観映像ではなく、複数のスクリーンで映像を眺めている感覚だとか何とか・・・。
そんな事を踏まえこの作品を眺めるのが良いだろう。講義においてひたすらに切り替わる写真のスライドがその示唆だ。そしてこの防犯カメラの映像もそう。
3つの時間軸(ストーリー)で展開されるわけだがちょっと整理しよう。
1つめ・・・「恋人死亡/自分生存」ルート
強盗と鉢合わせしなかったという1つの分岐で、時間は事件後。恋人を死なせてしまった後悔に苛まれている彼女が映し出される。恋人は死に自らは生き残ったとしてどのような未来が展望できるのか。
2つめ・・・「2人生存」ルート
そのコンビニにおいて別のシチュエーションで強盗にあった場合。恋人ではなく自らが店内におり撃たれなかった場合。恋人との死別は避けられたが、浮気がバレ彼とは破局を余儀なくされる。
1つめの話を受けここで明らかになるのは、強盗に合うという状況が避けられない揺らがない事実だということ。そして死別と破局と違いはあれど恋人との別れが避けられないものであるということ。
3つめ・・・
これが何が起こったかの全容。真実及び事実。コンビニ強盗に関する記事を目撃するわけだが、それを事前に知っていたことで防げた事態だったか否か。いやそもそも知る術などなかったというある種諦めと覚悟。母親との食事において何度も溢していたグラスを受け止めた彼女がその兆し。
・まとめ
自らの罪の意識に端を発したが故のその事実を受け入れられないとする(いやどうにかして受け入れようとする)恋人との未来の展望及び逃避と同時に、ではいったいどこから抱いていたであろう恋人への罪悪感を辿ることで嫌が応にも避けられない現実が定まっていく。現在という絶対的な事実へと絶対的に訪れる恋人との別れへとフォーカスが絞られていく。未来を見据えたことでのある種の諦めと過去の懺悔清算による受容という名の覚悟もままならず、彼女の願い想いとは裏腹にピントが合っていってしまう。見たいものは見えず、見たくないものばかりがはっきりと見えてきてしまう。
しかし2人の別れが避けらないということそれは即ち、2人の出会いもまた避けられなかったことなのだという、誰にも覆さられるものではないのだという救い(赦し)を見出させるカタチにオトしたのは見事だったと想う。
〇最後に
まぁよくわからなかったというのが本音ですけどね。唯一2人の出会いのところだけやけに明るく楽し気に映されているのでね。そこを尊重するべきかと。ではでは・・・
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