~親子≒人とマシーン~
〇はじめに
吹替えにて「息子」を亡くした母親に対し主人公が「娘さんの…」と声をかけてるけど・・・間違ってるよね。字幕は問題無かったけど。〇想起する作品
「サイボーグ2」(1993)「EVA<エヴァ>」(2011)
「オートマタ」(2014)
「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」(2015)
「チャッピー」(2015)
「ハードコア」(2015)
「モーガン プロトタイプL-9」(2016)
「エクスタント」
〇こんな話
わたしはわたし・・・〇人とマシーン
子は親から巣立つもの。この関係性が人とマシーンにも当てはまるとしたら・・・人間を生物における上位種とする傲慢さから説くが、生命はとある段階から家族や親子に始まるコミュニティを形成し始める。これはざっくりとは独りの力には限界があるが故に協力体制を敷く、不足分・優劣を補い合うといった話に落ち着けることができるわけだが・・・
劇中ひたすらに人間からマシーンへのアプローチが観られる。人間に近づける、人間が持っているとする心(ないし感情)を理解させようと、テストや教育を主には対話によって為そうとしている。
ここに観られる関係性とは当に人間が形成するコミュニティの1つである家族ないし親子という対等もしくは主従という関係性と同様のもの、「人間(親)≧マシーン(子)」というものである。人間がマシーンをテストする、人間がマシーンを教育する。
飽くまでも人間の枠にマシーンをあてがおうとする行為である。
この人ガイ・ピアースとヒュー・ジャックマンに似てる
こんな関係性を観せられてのラストのパパ(人間)と遊びたくない宣言。ママ(マシーン)の方が大好き宣言。
・・・。
離乳、心理的離乳、思春期、反抗期・・・etc
身体的に精神的に様々な発達段階を経て人は子どもから大人へと成長する。親から離れ、自立していく。
ではマシーンはどうだろうか?
マシーンを教育する人間として、開発や研究において博士である主人公が絶対的な存在、いやマシーンにとっての絶対的な指針ないし正義であるかのように映るが、実は彼の行っていることでさえ人間の域を出ない、いや彼自身にとって都合の良いものの構築に過ぎなかったことが明かされることになる。
さらにはマシーンたちは発話能力が無い劣った存在の様に当初は映っていたが、実は独自の言語や意思伝達手段を構築していたのだと、人間とは別の成長(進化ないし変化)を遂げていたことも明らかになる。
では、
マシーンの成長とは必ずしも人間を準えることと同義であるのか・・・、同義である必要があるのか?
実は人間こそがマシーンの成長及び進化を妨げている存在なのではないか・・・
最後の娘の宣言とは、マシーンの人間からの脱却を意味している。人間から学ぶことはもう無い。「マシーン>人間」と関係性の変化が見られるのである。子が親から放れ自立していくように。そしてマシーンの中だけでコミュニティを形成し始め、マシーンの進化は独り歩きを開始する。
では、マシーンにとっての役目を終えた人間はどうなるのだろうか・・・
娘の治療にと生涯を投じた研究。そんな父親としての娘への想いとは裏腹に、娘を肉体的に救うことはできず、さらに娘の意識さえも父親に背を向ける。
彼の表情がまた人間とマシーンとの行く末を際立てる。
人間は、地球の覇者ではなくなった・・・
もう、地球は人間のものではない・・・
〇最後に
エーアイエーアイ言うとりますけれども・・・、どうなるんですかね?ではでは・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿