~理想と現実~
〇はじめに
現実とバーチャルにおけるギャップを描き出そうとしている試みは評価できる。容姿の違いや戦い方の違いにおいて。ただそこまで気にすることができるのならもっと細かいところまでできたのではないかという期待が膨らみ不満の方が残ってしまう。もっと顕著に観せてくれて全然構わない。〇想起する作品
「GAMER」(2009)「サロゲート」(2009)
「インセプション」(2010)
「楽園追放」(2014)
「ザ・ヴァーチャリスト」(2015)
「空談師」篠房六郎
「ナツノクモ」篠房六郎
「ソードアート・オンライン」
・・・観たことないけど。
〇こんな話
技術革新がもたらしたのは現実逃避だったという皮肉をこねくり回す。〇理想と現実
未来都市を想わせる画から中世仕様の世界を観せた入りはすばらしかった。未来の自由(便利)さからの過去の不自由(不便)さというところに頭が行く。未来と過去とを鑑みてその世界に惹きつけられる何かがあるのだと想わせることに機能している。窮地に陥った際の打開策として魔法の使用を観せることで現実ではないとしているシーンも、その後の現実での取っ組み合いに効いているし、協力者(パーティ)の存在を描くことで男女だけでなく老人(とまではいかないが)をもその世界に浸らせる、逃れたい何かがあるのだということが伺える。アバターの容姿と性別の信用は無いわけだけれども・・・
ただ引きこもり特有の症状が描かれないのが気になった。主人公は別段引きこもり体質では無いのだけれど、彼の行っている仕事から危機管理として第一に行っておくべきことが描かれていない。最初にそれを演出しなければまずかった。
窓の傍という外から誰にでも覗き込まれそうな位置でプライベートな至福を楽しむだろうか。そしてどうやらこの家はワンルーム。玄関から直結する場所で彼は現実における身体(本体)を無防備に晒している。
引きこもりの話に戻るが、まず自分に居心地の良い空間を確保するということである。安全地帯とでも言おうか。それ以外は別に散らかっていても良い自己満足な空間。主人公で描いていないのには意味があったのかと想ったものの、別のおそらく一番に相応しいプレイヤーにて描く機会があったのにそれをしていなかったので別段意識はしていなかったのだろう。残念である。
せめてそれを補填すべくオンラインに入る前に周辺の安全確認くらいは観せておくべきだった。自分の部屋ではない場面においてなら尚更だ。ドアを塞ぐだけでは少々物足りない。事前に観せておくべき安心感に繋がらない。頼りなさが先行してしまう。その後の自分の部屋に入る際に行っていたが、観せ方の順序として逆にしておくべきだっただろう。逆というよりも事前に描いておくべきだった、かな。
戦闘における違いを最初に印象付けたのはうまかった。バーチャルにおいてはチャンバラと魔法で決着をつける、要は剣を持ったまま対峙した相手を倒すことが為される。身体的接触が無く離れ業で倒すとしておこうか。しかし現実ではパンチやキックだけでは決着がつかず取っ組み合いになるのである。相手に掴まれるわけだ。服なんか来てたら尚更。かっこよさとは無縁の泥沼の戦いだ。
さらにうまかったのはバーチャルにおいては敵が堂々と目の前に立ち塞がる、というより敵対する者がはっきりとしているのに対し、現実においてはそれが見えてこないというところだ。敵対するよりも前にまずは敵を探さなくてはいけないというプロセスが必要となる。ここに現実とバーチャルとの複雑さと単純さの二極化が見られる。
そして何よりの皮肉が、バーチャルでの戦いにおける敵の立ち位置が現実における自らの立ち位置に重なるところだろう。相手はこちらの素性を知っている。そして場所を知っているからこそ奇襲を仕掛けられる。バーチャルにおいて敵の虚をつく主人公だが、現実においては敵に虚をつかれてしまう。現実とバーチャルの二極化に対しここで曖昧さも見せている。
ただこれができるのならと期待が高まる・・・
銃撃戦においてもっと違いを観せてくれてよかった。エイム(照準)の問題といったところはどうか。ヘッドショットを難なく決めるバーチャルに対しての全く当たらない現実。ピングの話を持ち込んだって良い。現実だと凄腕ガンマンがバーチャルにおいてはてんてこまい、とか。
流血の有無で差別化しても良かっただろうし、残忍さを売りにしているゲームとして描くのならばもっと武具を凝った方が良かっただろう。
あとはバーチャルだからこその戦略や戦術というところをもっと印象付けるべきだっただろう。バーチャル世界というのはよりリアルであることがウリであるわけだが、何より忘れてはならないのはその世界に浸る彼らの目的とは現実からの逃避が第一であるということである。バーチャルと現実とでの優先順位は逆転しているものの、現実ではないという意識が先行しているはずなのである。
つまり現実ではできなかったことを体現する事に執着する。「できない(不可能)」ではなく「できる(可能)」が先行するはずなのである。よって安全策ではなく特攻も辞さない。現実では絶対に立てないだろう作戦の立案と実行。これを印象付け、現実における安全策を観せることをすれば、作品として魅せるべき現実とバーチャルの境界はより強まっただろうし、ラストへ向けての彼らの世界における2つの世界の曖昧さというところが演出できたのではなかろうか。
主人公の手榴弾自爆による強制ログアウトはその一つなわけだが、主人公だけでなくその世界に浸っているだろう人間たちでもう他にほしい。バーチャル世界に対しての現実世界における立ち振る舞いは特に問題なかったから尚の事勿体無い。
現実において食べ物をさりげなく位置付けたりはしているところは細かかったりするんだよな~。なんか所々惜しいんだよ。観点がズレてるというかさ。
〇最後に
現実とバーチャルとの二極化と曖昧さとを結び付けようとした2つの世界のギャップを描く試みははじめにも書いたが評価できる。バーチャルにおけるコンピュータウイルスと現実世界におけるテロリストという大枠の題材もうまく考えられていた。ただだからこそ細部で気になるところが際立つ。というより製作者と私個人とで感覚のズレを覚える。このギャップを埋めてくれる説得力が無かったのが残念だった。ではでは・・・
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