デス・レター 呪いの手紙 (2017)

2019年12月17日火曜日

2017年の作品 ジャンル:ホラー 時事問題:ながらスマホ 製作国:ロシア

t f B! P L


~ながらスマホ~


〇はじめに

 ながらスマホは世界的に問題になってるんだね。


〇想起する作品

 「THAT ザット」(2016)


〇こんな話

 まずは目の前のことから。


〇ながらスマホ

 主人公の職業は運転手、人を場所に送り届ける。対し手紙、(人から)人に送り届ける。人が人を介して成立する関係性。ではスマホは? 

 運転手が秘書?にパシられたところから作品は始まる。


 おつかいを頼まれてやったのに秘書はというとこの対応である…


 直接受け取ろうとしない。顔すら合わせようとしない。感謝の気持ちなど微塵も感じない。そのくせさらにパシらせようとするのである。


 反面電話には秒速で応対する。

 目の前で顔を突き合わせている人の対応を疎かにし、顔の見えない人の対応に追われているこの場面。どこか人と人との直接的な関わりの希薄化を感じる。その原因の一端はどこにあるのだろうか・・・

 度々目の前で起きている事態ではなく、意識が別の場所を向いている場面がしばしば描かれる。それによってもたらされたものはいったい何だったのか?


 今や電話にメールにLINEにとスマホ1つでどこでも誰とでも繋がれる、いつでも何でも調べられる。いつも手にしているもの、すぐに取り出すもの、すぐに頼るものとして描かれるスマホ。しかしそれを余所に問題となっていることはないだろうか。

 スマホ搭載のカメラで指紋まで読み取れる解像度だと利便性の反面の危険性を訴えているのも1つだろう。


 最初の秘書とのやりとりにおける直接的な人間関係の希薄化の兆候を皮切りに、いつでもどこでもできること即ち今ここでこの瞬間にやる必要性が必ずしも無いにも拘わらずついつい片手間でもやってしまうものとして描かれるスマホイジイジに対し、今現在直面している事態に問題に…究極は自らの罪と向き合うことはどこまでもどこまでも先延ばしにする様を描き出すことでの、やるべきこと、やらなくてもいいこと、やってはいけないことの分別が曖昧化している、どこか乱れているだろう現代への警鐘はよかったのではなかろうか。


 手紙をきっかけとして主人公が自らの罪と向き合うことになるのだが、そういうルールに他ならないわけなのだが、なぜ彼の元に手紙が行き着いたのかというところも果たして狙っているのかどうなのか・・・

 誤送された手紙。これにどう対応するか? 近場であれば自分で届けてしまうのが最短の道だろうが、正直面倒くさい。秘書の態度が一番に共感できる。自分に直結する用事でなければさほど興味は無いしそもそも関わりたくもない。自分に利が無くとも害もまた無いのだから自ら進んで動く必要性が無いのである。つまり手紙はたらい回しにされていたのではなかろうかと。この状態もまた現代を象徴しているのかどうなのか・・・



〇最後に

 ながらスマホ注意しましょうね。というかやめましょう。

 ではでは・・・


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