~知る権利~
〇はじめに
「ソーシャルネットワーク」もそうだったけど、本人の自伝ではないんだよね。誰かしら周りの人間や関わった人間からその人間にアプローチしているだけ。どちらに信用を置くかだよね。〇想起する作品
「ソーシャルネットワーク」(2010)「U Want Me 2Kill Him」(2013)
〇こんな話
‟2人いれば秘密が生まれる”‟1人では為し得なかった”
〇秘密と嘘と真実
壁画、彫刻?、活版印刷、タイプライター、モールス信号、無線、ラジオ、映写機、ビデオカメラ(テープ)、TV、PC・・・etc 思いつく限りの単語を並べた・・・歴代の情報媒体情報媒介が始めに映し出される。石に掘っていたものが紙に、紙で得ていた情報がすべて液晶に映し出されるまでに変化した。積み上げた石が、積み上げた紙が、今や掌に収まっている。その機器を有し使用方法を知っていれば即座に情報を入手できる。発信した情報が次の瞬間には世界中に広がっている。そんな世界における嘘と真実。秘密と情報公開。法律の適用範囲と垣根の無いインターネット。
人が2人いれば秘密が生まれる。この秘密が陰謀や不正の始まりだとジュリアン・アサンジは力説する。秘密が増えれば嘘や偽りが混入し、それ故にまた秘密を生むことになる。そんな秘密や嘘で塗り固められた世界に風穴空けたると考案したのが完全匿名性による暴露サイトウィキリークス。人は仮面を与えられると真実を語り出すと。
不正や腐敗に対して立ち向かう姿勢は頼もしく見える。しかし彼らが真実を白日の下に晒す上での行動には疑問が付きまとう。機密を暴露するに至るまでに内部告発者の信用を買うため、安全を保障するために彼らはひたすらに嘘を上塗りする。真実を、機密をリークすることをウリに嘘をつく。告発内容は加工せずにそのまま公開するというのに対し、彼らの活動は嘘偽りで塗り固められているものだ。
‟2人いれば秘密が生まれる”
‟1人では為し得なかった”
この2つの言葉は同じ人間によって発せられたモノである。ここに問題の本質を見る。
当初嘘で塗り固められた社会を悪と断じる姿勢に共感を覚えジュリアン・アサンジにはっきりとした正義を見るが、それは理想論であり、それを強引に推し進めるとどんな弊害が伴うのかという危険性を示唆する。例えば国交や国防においてはスパイや情報屋なんてのが欠かせず入り乱れている状況をどう見るか。不正や腐敗を良しとするわけでないが、しかし真実を暴くことが必ずしも正義であるのかと。
物事を円滑に進めるためには時に本音と建て前を使い分ける必要がある。表向きな活動だけでなく裏での根回しが必要になる。現にジュリアンも嘘も方便だと。そもそも彼のやっていることは秘密ありきで為し得ることだ。嘘が溢れかえっている現状だからこその、本来あるべき姿に世界に戻す上での一時の処置とも言えるが。
過去に権力を濫用する者たちを突き崩すのに第四の権力ジャーナリズムが立ち上がった。では現状のジャーナリズムはどう機能しているだろうか。ジャーナリズムが情報社会において停滞を見せる中、ウィキリークス騒動により今新たに情報革命が起こり第五の権力(フィフスエステート)が立ち上がろうとしている・・・という。情報を要求すること、真実を知ろうとすること。
はじめにも書いたがこの作品はジュリアン・アサンジによる自伝ではなく、周りの人間がウィキリークス騒動に関してまとめた書籍を原作としている。この作品の中にジュリアン・アサンジという人間を見るが、ジュリアン・アサンジ自身が見ているジュリアン・アサンジと、周りの人間から見たジュリアン・アサンジとでどちらを信用するのか。
ただただ真実を白日の下に晒すことに躍起になるアサンジと、現行の体制をぶち壊される事への対処に追われる者たち。嘘が人を殺し、嘘が人を守る。真実が人を守り、真実が人を殺す。
歴史はどちらを評価するのか・・・
〇最後に
嘘や秘密の無い世界はどんな世界か。果たしてそれは望ましい世界だろうか。全ての人が本音で語り合えたらいったい何が起きるのだろうか。ではでは・・・
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