OSIRIS オシリス (2016)

2019年9月18日水曜日

2016年の作品 ジャンル:SF 製作国:オーストラリア

t f B! P L


~家族の絆~


〇はじめに

 この方をもう少しフィーチャーしていただけると…



〇想起する作品

 「リディック」シリーズ
 「ザ・フィースト」シリーズ
 「デス・レース」シリーズ
 「DOOM」(2005)
 「エンダーのゲーム」(2013)
 「オブリビオン」(2013)
 「大脱出」(2013)
 「インター・プラネット」(2016)
 「エルフェンリート」


〇こんな話

 父と娘の物語…父から娘の物語…



〇家族の絆 

 とある少女の語りから作品は始まる。父親を取り戻すとかなんとか・・・


 この少女へと至る経緯が、囚人の脱走事件をきっかけに明らかになるあれやこれと共に解き明かされていくこととなる。


 どんな世界にも必ず始まりというものがある。それが諸々あってとある状態へと落ち着いていく。これの逆説的なアプローチ。

 良くも悪くもとある状態が存在し、ではその状態はどのように確立したのか?

 とある結果があり、ではその原因は?…といった話の構造とでも言おうか・・・


 大金と引き換えに武器を手放した件なんかがわかりやすいか。まぁ商売だから仕方ないのだが、もしその後に巻き込まれる事態がわかっていれば彼らは武器を売ったのか? 武器を売らなければもしや…があったのではないか。

 こういった所々の示唆が、要所要所での分岐の存在に意識を向かせる。

 オシリスに生存者がいなければ万事解決だったはず・・・  

 …これは上の人間にとってのベストか。

 父親が死ななければ・・・

 …これは娘にとってのベスト…いやベターか。

 そもそも軍人であり父である男は地上に娘がいなければどうしただろうか?

 …これがこの作品の1つの起点。


もう1つのパートへ…

 囚人が脱走を試みなければどうなっていただろうか?

 そもそもなぜ脱走計画を企てたのか?

 その計画の立案者はなぜ刑務所に送り込まれたのか?

 刑務所に入れられるに至る罪を犯さなければ?

 その罪を犯すに至ったきっかけの事故が無ければ?


 物事には始まりがあり終わりがある。終わりがあり始まりがある。この物語の起点(分岐)を眺めてみると全て家族が関係していることがわかる。彼らを突き動かしたのは何者にも代えられない家族という存在である。家族が巻き込まれなければ、そもそも家族を築かなければ何も始まらなかったはず、何も終わらなかったはず、罪を犯さなかったはず…。

 これは始まりと終わりを、そして終わりと始まりを繋ぎ紡ぐ家族の絆を見つめる物語。


〇最後に

 ペジテのガンシップはかっこよかったよあぁ~(惚れ惚れ)。


 ではでは・・・

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