黄泉がえる復讐 (2017)

2019年9月3日火曜日

2017年の作品 ジャンル:サスペンス 製作国:韓国

t f B! P L

~罪を憎んで人を憎まず~


〇はじめに

 正当な裁きというのはどういうものなのだろうね? どの視点においてそれは見極められるのだろうね?


〇想起する作品

 「11:14」(2003)
 「イレブン・ミニッツ」(2015)


〇こんな話

 罪人に正当な裁きを!!!



〇罪を憎んで人を憎まず

 法学生時代にひったくり犯に母親を殺されたことから、加害者への厳罰化を求める様になった検事…

 周知されている事件の真実とそれに伴いできあがった彼の正義があるわけだが、これに対しRV(犠牲復活者)を追いかける国家情報院と、事件を再捜査する警察(心理分析官)との双方から改めてアプローチすることで、彼の像が如何様に揺らいでいったのか…というのが話の根幹か。

 とある状況の一面を切り取ったことで見えてくる真実と、それを前後して事故もしくは事件へと集束してしまったそれぞれの経緯や背景を鑑みて見えてくる真実…


 昨今SNSの普及により一面的な情報に踊らされ一方的に断罪しようとする動きが顕著(表立ってきた?)であるが、これはそんな息苦しい社会へのある種の警鐘ではなかろうか。  

 人が人を裁くという行為が不完全なものとなってしまうのは人自体が不完全であるが故に致し方ない。そんな中正当な裁きを希求するのはごもっとも。

 しかし不完全であるからこそそこに解釈の余地が生まれ、人が人に対して償う、人が人を許すという機会が生まれる(得られる)のではないかと。これこそが人が人を裁く上での希望と成り得るのだと…


 完璧な人間などいない。何にでも目くじらを立て条件反射で騒ぎ立てるのも結構なことだが、人を憎むのではなく罪を憎むことで、いざ自分へと振り返る心の余裕を持ちたいものである。


〇疑念

 母が息子に包丁を手にし襲い掛かるシーンは、結果的に危害を加えなかったとする説得力はわかるけれども、襲い掛かるというところの動機が気に掛かってしまう。これは致し方ないのか?

 RVとしての存在意義と母親としての愛との狭間で揺れる…いや元を辿れば主人公が始まりであったとするところへと繋げるにはここで彼という存在の見え方を変化させる、罪を見出させるといった要素は必要なことか?


〇最後に

 反面教師にする…人の振り見て我が振り直せ…難しいよね。

 ではでは・・・

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