ディストピア2049 (2017)

2019年9月10日火曜日

2017年の作品 ジャンル:SF 製作国:カナダ

t f B! P L


~共生~


〇はじめに

 ディストピアものですね、典型的な。


〇想起する作品

 「洗脳」(1998)
 「マイノリティ・リポート」(2002)
 「リベリオン」(2002)
 「イーオン・フラックス」(2005)
 「THE WAVE」(2008)
 「ハンガー・ゲーム」(2012) 
 「ギヴァー 記憶を注ぐ者」(2014)
 「ダイバージェント」(2014)
 「アサシン クリード」(2016) 
 「セブン・シスターズ」(2016)


〇こんな話

 いつも見張ってるからな!!!



〇安全とは…平和とは…

 迎合しない者は排除する、異端は排除するってな話は人類の決して長くはないけれど短くもない歴史を眺めてみてもそれはそれは多くあって・・・

 というのもこのシステムは種という枠組みにおいて機能しているからで。ん~、遺伝子レベルで組み込まれているってな話にした方がいいのかな?

 共生云々の話でよく人間とウィルスの関係が取り上げられるのだが、人間はウィルスに対して拒絶する排除するってな選択肢をとったのよね。しかし人体に害のあるものでも、別の生物にとっては全く影響の無いものや、いやむしろ大好物というか利益を被ってるってなお話ってのもあったりなかったり・・・

 まぁ共生関係にも様々なものがあって、利害の一致でどうこうって複雑な話もあるんだけど・・・

 そんな話はここでは置いておいて、単純に考えを異にする者を排除し、ただ迎合する者だけを厳選していったら何が残るのか、世界はどこへと向かうのか?ってな話が根幹にあって。


 確かにそこには犯罪の無い安全な世界、争いの無い平和な世界が広がるかもしれないが、そこに個々の意志はあるのか、自由はあるのかってな話に繋がってきて。

 人間らしさ云々という抽象的な話になってしまうけれど、人間が創り上げるべく平和な世界ってのはそんなカタチで達成されるべきものなのか?…と。

 この辺りは「リベリオン」(2002) なんかがわかりやすいんじゃないかな。


 直接的な関わりは目では見えないけれど、現状の人間社会で構築したシステムが支えられているのは全てが全て同じ思想の持ち主によってのみで為し得ているか?…と。

 生態系を眺めてみても、異なる種の関連がそこかしこにあるでしょと。ミツバチがいなくなったと一時期話題になりませんでしたか?

 小さくは人間社会におけるナショナリズム、大きくは生態系における共生関係…こういったところの見つめなおしが図られようとしているのかな・・・

 排除からは何も生まれない。



〇最後に

 ざっくりとは、

  平和とは支配(独裁)によって為し得るべきなのか? 

  為し得たとしてそれは平和と言えるのか?

 ・・・ってなおはなしかな。


 ではでは・・・

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