~警戒心の欠如をひたすらに皮肉る~
〇はじめに
もう何にも飲めないよ・・・〇想起する作品
「ドリームキャッチャー」(2003)「サヴァイヴ 殺戮の森」(2006)
「ヘルプ 心がつなぐストーリー」(2011)
「ザ・ベイ」(2012)
〇こんな話
〇〇と知っていたら〇〇なんてしなかった。〇危険意識(警戒心)
何を基にどこまでの事を考慮・判断し行動に反映させているか?作品が作品なので下品な話題を提供してみる。以前何かでニュースにもなっていたので構わないだろう。
例えば「カレーを食べる」ということに何か躊躇することがあるか。そのカレーはとてつもなく美味しかったという前提で考えてみる。
・食べたカレーはおいしかった
では情報を付加していこう。
・具が形状を保っておらずトロトロのカレーだ
・そのカレーは自分ではなく他人が作ったカレーだ
・作った人は直前にトイレから出てきたが手を洗っていなかった
・トイレからはトイレットペーパーをガランガランと巻く音が響き渡っていた
・トイレから明らかに腹を下しているだろう音が聴こえてきた
トイレで下痢をしていた人間が手を洗わずに作った具が形状を保っていないビチャビチャのカレーはとても美味しかった
いったいどこでカレーが美味しくなっただろうか。味に深みが生まれただろうか。
食事中の方申し訳ありませんm(__)m
しかしこういうところを楽しむ作品なのである。若者たちの行動を基点に鑑みるその前後関係。若者たちの行動を起点に判断していたのが、先に考慮すべき事象が起点となり若者の行動を馬鹿にする変遷もいやらしくうまい。普段からどこまでを気にしているかという。意識に登った途端に気になって気になって仕方が無いことがありませんか。この作品はそこをひたすらに捏ね繰り回す。
時間回帰的な演出が何度かあるんだけど、これのおかげで取り返しのつかなさってのが見事なんだよね。あのときこうしておけばとする後悔と、ではどうすればよかったのかという責任転嫁と。
劇中のネタを提供してみる。
ベンチに座る少年。いったい誰が彼を警戒すべき対象であると認識するか。
そんなあぶない少年なら説明書きしとけ、但し書きしとけと理屈を垂れる若者がいる。
では立札があったとしてそこに信用を置けるか? そもそも見知らぬ街で見知らぬ少年に話しかけるような人間が、少年がベンチに座っている以外の情報をどのようにどの程度加味するだろうか。
その後観せられる犬から人間にじゃれてくる光景。
犬と人間とでどちらが警戒すべき対象として序列が上か。この序列を逆転させたことで、我々が最初に目撃したモノが蘇る。そいつはどんな状態であったか。後にしつこく付きまとう犬も描かれる。
最初はフレンドリーというか何気なく聞いていた店員の話を、狩りの話やライフルといった流れもありニガーという単語を耳にしただけで若者たちは勝手に想像を膨らませる。この町(店)の人間たちは差別主義者であると。
そんな警戒心を抱きながらもドアを閉めずにカーテンを閉めずにセックスを開始したり、夜な夜な焚き火を囲んでの怪談話。怪談話における真偽は如何に?ってな思わせぶりにも彼らの行動を鑑みる上でのきっかけとして機能している。
こんなシーンはどうか。ここが一番わかりやすいというか、カレーの話を思いついた場面で・・・
水を欲しているときにコップに入った水を差しだされたらどうするか。
では水がどこからとられているのかを見たら??
ではではその水の供給源にこんなものが浮かんでいたらどうか??
キャンプファイヤーの際に酒しか口にしないどうの話されているのがここへの誘導だ。うまい。
そして豚の処理をし悪態をつく女性。あんたらはこれを食べるか?と。病気だと知っているから食べないんだと。これが上の水の話との地続きであからさまな転換点だったのかな。考慮すべき事象と行動との前後関係因果関係の観せ方考え方における。
そしてレモネードの件とこのトラックよね・・・
これが全部持って行く・・・ いや~おもろかったわ。
何かしらのイチ原因に発するイチ行動を起点としていたのが、その前となる原因や別のところに存在する原因を小出しにしていくことで、段々と結果論におけるアプローチへと変遷させていく。これにより抱く若者たちの行動へのイライラとそれを覆す滑稽さのバランスがホントに絶妙。劇中繰り広げられるひたすらな後悔と責任転嫁とが、限定的な情報を基に辿るしかない病気の感染源の話にも通じているし、何とも皮肉めいていやらしい作りである。
〇余談
これはどういうネタなの??パンケーキはなんか叫んでたけど・・・
〇最後に
ネタが満載過ぎて拾いきれん。これがおもしろかったら想起する作品に挙げた作品も是非観ていただきたい。ではでは・・・
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