~ボスニア内戦~
〇はじめに
「タイム・ループ 7回殺された男」(2016) もそうだったんだけど、作品内での歯切れの悪さが気になるよね。作品外でその知識があれば補完できるのかもしれないけど。〇想起する作品
「タイム・ループ 7回殺された男」(2016)〇こんな話
ボスニア人(ボシュニャク人?)が抱える闇・・・〇歴史観
互いに互いの母国語をほとんど理解できず話すことができないボスニア人の彼女とドイツ人の彼氏。そんな言語の壁が立ち塞がる2人を英語が結び付けている。彼女は英語と発音が同じだから(世界共通だから?)と唯一MAUSという単語はわかると言う・・・話が進むにつれ見えてくるのは、彼らの障壁は何も言語だけではないということである。英語という共通言語は確かに2人の意思疎通を可能とし、互いの理解を助け合うキーであるかの様に映る。しかしその共通言語を駆使して尚互いの母国語を一単語しか知らない、一単語すらまともに発音できないというのは、決して通じ合えないだろう部分…それぞれの国が抱える歴史、文化や宗教の差異は言語だけでは月日だけでは解消できない事を伺わせる。
そもそも知ろうとしていない、知る必要が無いとさえ…いや知りたくないと思っているかもしれない現状の示唆でもあるのか・・・
ボシュニャク人とセルビア人の民族対立が主であるが、そこにドイツ人の存在というのも意味があったのか。元々のこの対立を煽った背景にはどうやら第二次大戦時のナチスドイツが絡んでいる様・・・
森の中の景色か終始ボヤけていたり、真っ暗闇もしくは霧の中で銃をぶっ放すセルビア人がいるが、これはラストのあやふやさ?…不確かさ?の演出ためなのだろう。彼氏は公園で起こったテロの背景に何を見たのか・・・
昨今欧州もテロの標的となりその背景に見え隠れする組織があるわけだが、単にイスラム教徒と言えど一括りにできず一筋縄では行かず、しかしそんなことはお構いなしに一緒くたに考えてしまう傾向がある。そこに一石投じる。彼らの抱える闇を知らずに悪と断じて良いだろうか?…と。世間で浸透している歴史認識に誤解や誤差は無いだろうか?…と。
ボスニア内戦の経緯と背景と、その過去を引きずり今を生きている民族と、今また新たに起きようとしているテロリズムと対立と・・・
根が深く根本的な解決は見えないけれど、そういった歴史を知ろうとするいや知らなければならないという義務感(表現が固いかな?…“感情”くらいにしておくか)が生じれば御の字ではなかろうか・・・
〇最後に
う~ん、難しいな。とりあえず「ノー・マンズ・ランド」をチェックしようかな。ではでは・・・
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