~ドア~
〇はじめに
ノックノック~♪〇想起する作品
「IT」「正体不明 ゼム」(2006)
「WE GO ON 死霊の証明」(2016)
〇こんな話
守らねば、この笑顔。〇ドア…扉…壁…
ドアとは閉ざす(隔てる)モノである。他人“ひと”を閉ざす(人と人とを隔てる)モノである。ドアとは開かれるモノである。他人に開かれるモノである。
ナニモノかに襲われた際には閉じ籠る引き籠るという手段が1つ有効であり、そのナニモノかと自分とを隔てる物理的なドアの数や厚さというものに安心度は依存する。多ければ多いほど厚ければ厚いほどそれは大きくなる。それは自分以外の身内の人間を守るためにも有効である。
しかし、親子関係や親しい間柄で見た場合、精神的なモノを考慮した場合、たった一枚隔てられただけでそれは不安へと変貌したりする。
ナニモノかへ(外部のモノ)に対して有効な手段が、身内には全く逆に働くという矛盾や皮肉。このバランス感覚が絶妙な作品だ。
ノックの解消にと家中のドアを取っ払ってしまう様はついつい吹き出してしまったが、これは親子の確執(わだかまり)が解けていく様と同義に映る。事態は確実に好転していっていると。これを覆したのがうまかった。それに物理的な障壁の喪失ってのは本来安心感を削ぐはずなんだけど、メアリーに対しては有効っていうギャップの構築でもあるんだよね。
・・・まっ、効かなかったけど。
もし娘の証言を無条件に信用していれば最悪の事態は防げたはず。しかしそれをしなかったのは、いやできなかったのは、娘の身を案じ娘に危害が及ばない様にとなるべく遠ざけたのは、何より娘の安全を第一に考えたからである。娘に対しドアを閉ざしたのは、隔離ではなく保護を目的としていたからだ。そんな愛ゆえに真実を見る目を曇らせた。
片や情報を得ようと救う方法を探ろうと縋ろうとティラという外部のモノへとドアを開け放つ。
・ 母と娘の確執 ➡ 母 ―[扉(ドア)]― 娘
・ 母の娘の保護 ➡ 母 ―[扉]― 娘
・ ティアへと求めた助け ➡ 母 ―[扉]― ティラ
・ メアリーを隔てる扉 ➡ 母 ―[扉]― メアリー
この4パターンの壁の意味と、それぞれの人物がどういった配置で存在するのかというところが見どころで・・・
母と娘の確執は確実に解けようとしていた。互いにドアを開け放ち心を通わせようと。しかしだからこそ娘を守ろうとまたメアリーに近づけまいと晒すまいと母は娘に対しドアを固く閉ざそうとした。
これは娘がメアリーを隔て自分と同じ側に存在していると思ったからである。メアリーを隔てるドアを構築し、その内側にさらに娘を守るべくドアを構築した。
メアリー ―[扉]― 母 ―[扉(開)]― 娘
➡ メアリー ―[扉]― 母 ―[扉(閉)]― 娘
メアリーの侵入を許すまじとドアを閉ざし、はたまた助けとなるティア(外部のモノ)に対しドアを開いた。
これはティアもまたメアリーを隔て同じ側に存在していると思ったからである。そういったジャンルに長けているとする理由付けもあったが、何より同じ母親という存在だったからである。
メアリー ―[扉]― ティラ ―[扉(開)]― 母 ―[扉(閉)]― 娘
なんかわかりづらいな…(´・ω・`)
メアリーに対して築いた絶対的な壁の内側に母と娘そしてティアが存在していたと思ったが実は…みたいな感じなんだけど。
それぞれのドアが全て独立したモノないし異にするモノでそれぞれがそれぞれに別の場所に通じていると匂わせておいて、それぞれがそれぞれに通じていた実は同義であったとする逆転劇が面白いんだけど・・・
母と娘が互いに心を開き通わせるのとは別に、母は娘を保護するためにドアを閉ざしもした。この母と娘の間に存在するドアが“開”の状態と“閉”の状態が両立できているようでいてできていなかったとするところが肝よね。メアリーに対し閉ざしたドアの内側にさらにドアを設け二重に娘を閉ざしたつもりであったが、そのドアの先にはメアリーもまた存在し…
なぜなら、同じ子を持つ母親ということもあり同じ側に存在していると思われたティラは、同じ母親故の我が子への愛は同義にしかし我が子を守るために全く別の方向へのはたらきかけがあり、実はティラに招かれたのは自分の方であり自らドアの外へと誘き出されていた…からである。
要は…勝手に構築したドアの内側と外側の概念をぶち壊す事で、全てが裏目に出ていた喪失感よね。いやそもそも内側なんてなかったし、そもそもそもそもドアなんて無かった。凄まじかったね。
・・・しかしラストが蛇足な気がする。
〇疑念
なんで夫は殺されたんだ?ティラの使い魔からの解放(=ジェスへの役割移行)とジェスの夫の殺害を同時に観せる意味が無い。ティラは役目を終えたのだから、正確には終えるはずだったのだから夫を殺す必要が無いはずなんだ・・・ これだとティラは使い魔という役目を終えて尚生贄を捧げていることになってしまう。
作品としての理由から辿れば、おそらくは母子という関係を際立てるためなのだと思う。ジェスの番いである夫を殺すことで、ジェスとクロエという母子関係が際立つ。ティラもまた母親であり自らの子どもを守るためには自らが死ぬわけには行かずどんなことでもできるという…それが母親なのだとする。これがまたジェスとクロエに適用されようとする…ってな話なのだろう。
いや単なる引継ぎか… メアリーも生贄捧げてくれなきゃ困るわけだからね。次の人間が必然的に貢いでくれる状況を作り出さないといけないからな。
〇最後に
感覚をうまく伝えられなかったな。もっといろんな文章に触れなきゃダメだな。っと言いつつ何もしないというね。ではでは・・・
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