22ミニッツ (2018)

2020年7月24日金曜日

2018年の作品 ジャンル:アクション 製作国:インドネシア

t f B! P L


~テロの動機は?~


〇はじめに

 テロの動機が見えてこないから、前半の現場に居合わせた者たちのドラマパートと、後半の制圧作戦との噛み合わせが悪いのよね。彼らは単なる愉快犯ではないわけでしょ?



〇想起する作品

 「11:14」(2003)
 「バンテージ・ポイント」(2008)
 「キャプテン・フィリップス」(2013)
 「イレブン・ミニッツ」(2015)
 「パトリオット・デイ」(2016)
 「15時17分、パリ行き」(2018)
 「ALIVE アライブ 侵略」(2018)


〇こんな話

 その日、その時、テロの現場に集った者たち・・・



〇動機が見えてこない

 その日は誰かにとってはいつもと変わらない日常であり、また誰かにとってはいつもとは違う日常だった。

 会話が溢れる幸せな家族に包まれ出勤していく男。良き父であり、良き夫である様に映る。


 定職についている所々で気の利く弟と、失業し弟のツテで再就職を目指すも浮かない顔の兄貴。兄弟でギクシャクしているものの、朝の食事風景や弟の見送りには母親が必ず顔を覗かせ、家族の間を取り持っている。


 式の日程まで決まっているが、音信不通になっている男女。男は超誠実な警官であり、社会的地位も諸々の保証も充実している優良物件であるが、異動が決まっている(転勤が多い)ことが、現職場において昇進したての社会的自律を目指す女にとってはネックとなっている。先行き不安な2人であるが、男には職場の先輩が、女には父親と同僚がフォローに周っている。


 どこかのカフェで会議の資料作り(プレゼン準備)に勤しむ女性と、会議の時間を気にしながらも車でチンタラし、その道中道交法を破ったことで警官に連行されていく女性。それぞれに抱く不安や不満を、電話を通じて愚痴を織り交ぜながら解消している様が見て取れる。


 彼らは皆誰かを想い、誰かに想われる者たち。そんな彼らのニアミスを描き出し、大切なモノとの繋がりを断ち切る凄惨な爆弾テロ事件を印象付けることで、テロに対して「#kamitidaktakut(我々は恐れない)」とする訴えは良い。

 爆弾テロ以降様々な経緯を素っ飛ばし、点在するテロリストの拠点を制圧していく画も、あの良き夫であり良き父親がテロリストを尋問するシーンで締めくくるのも、断固たる意思表示なのだろう。


 しかし、被害に合った者たちとの対比だろうその合間合間に描かれていく、口を開かず誰とも口を聞かず独りスマホや時計に目を落とす男たちがいったいなぜテロに奔ったのか?...とする動機が一向に見えてこないのはどうなのだろう...

 見る人が見れば、日常の隙間にそれを見出すことができるのだろうか?


 彼らもまた同じ様に誰かを想い、誰かに想われていた人間ではなかったのか?

 動機を見出そうとせず、目を向けようとせず、いやむしろ目を逸らさせる意味合いでテロに屈しないとする姿勢を描き出すことは、対立を深めるだけでなく無かったはずの新たな火種を生み出すことに繋がりはしないだろうか?


〇最後に

 あまり情報が出てこないんだけど、実際のところどうだったのだろうか?


 ではでは・・・

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