~テンポテンポテンポ~
〇はじめに
「デスノート Light up the NEW world」(2016) を観てる時と同じ感覚だったんだよね。あちらはデスノートの位置づけを根本的にミスっていたけど。単純にテンポが良いし、そのテンポをうまく持続させられていたと思う。そもそもの亜人という存在がどうも不明瞭な感じは否めないが、そんなことを特に気にさせることなくエンタメアクション(アトラクションムービー?)というテンポに乗せてしまう力はある。作品としての質(深みというか何というか・・・)は別にして、「寄生獣」や「東京喰種」といった流行りの実写化作品の中では頭1つ抜けるんじゃないかな。
〇想起する作品
「寄生獣」「ジョジョの奇妙な冒険」
「エルフェンリート」
「東京喰種」
「鋼の錬金術師」
「MONSTER」
「X-MEN」シリーズ
「スーサイド・スクワッド」(2016)
「しゃぼん玉」(2016)
「SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜」
〇こんな話
で、亜人って何???〇単純に疑問
●何で永井ってあんなに戦略家気質なの?
囲碁なり将棋なりに馴染みがあり、駒を動かす先読みするといった能力に長けているとか、何かしらの趣味嗜好で良いからそういった後ろ盾は欲しかった。天才気質である裏付けを医者になったということ以外で観せておくべきだったのではないか。佐藤健ありきだった気がする。
●SAT VS 佐藤
対亜人戦闘において全体的にもう少し工夫が欲しかった。亜人ならではの戦法はわかるのだが、対亜人の描き方がどこか一辺倒。
例えば佐藤の厚労省襲撃事件。佐藤から事前に予告があり、亜人への呼びかけがあり、研究所は2人に襲われたという直近の事実があるにも関わらず、なぜSATは対峙する亜人が1人であるという意識が先行しているのか? 「S -最後の警官-」ではSATの狙撃手がフィーチャーされていたことが過り、狙撃手を配置していないSATに違和感を覚えてしまう。
実戦経験の有無で自衛隊と比較し日本における一番の戦力として位置付けるのであれば抜け目なさをもっと意識付けないとダメなのではないか。そしてそれさえも覆してくる亜人だと観せることで亜人の強さを際立てなければ。
●死ぬ(殺す)前に眠らせるという戦法
眠らせる上で眠らせやすい状況に持って行くことは考えないのか? 眠らされない様に警戒している対象に、初手で麻酔銃をぶっ放すのではなく、まず当てやすい様に且つ自殺(リセット)を図られないように、動きを封じることで眠らせるという段階に移ったって良いではないか。ラストの作戦において用いた手段と、佐藤とのラストバトルに対して行った対処法を最初からやれよと...。
リセットには多少のラグがあり、ドラム缶事件も観せているわけだから(これは佐藤側だけの視点だけど)、SATの時もひたすらに殺すのではなく、ラグを利用して自力では出られない対策を講じた方が良かったと感じてしまうのは致し方ないのか。それに複数犯であると前提で動いていれば自爆テロは防げなくとも2人の確保くらいはできたわけで。生かすのか殺すのかどちらを優先させるのか振り切れるだけで対亜人戦闘の見え方が変わってくると思うのだけど。中途半端なんだよね・・・
まぁでもこれだけだと具象化だか具現化だかの問題は取っ払えないんだけどね・・・ そもそもあいつら何なの?
〇余談
綾野剛のところを亀梨和也で撮ってほしいな。戦闘においてどっち?どっち?ってなると思うから。楽しそ~。「るろうに剣心」を最初亀梨和也だと思っていた者より。〇最後に
普通におもしろかった。飽きずに最後まで観られたし。ではでは・・・
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