~自己犠牲による魂の救済~
〇はじめに
「ロスト・ボディ」や「エスケープ・ルーム」でも書いたんだけど、このスペイン人の意志の強さというかゴリゴリ感は何なんだろうね? ショック療法が一番なんや!!という息子の意思を無視する母親の姿が一番の恐怖だったよ…〇想起する作品
「タイムシーカー」(1999)「オーロラの彼方へ」(2000)
「イルマーレ」(2001)(2006)
「スライド」(2004)
「アナザー・エフェクト」(2005)
「カタストロフ」(2005)
「ステイ」(2005)
「ANOTHER」(2006)
「LOOP」(2006)
「ナンバー23」(2007)
「ノウイング」(2009)
「LOOPER」(2012)
「アナベル 死霊館の人形」(2014)
「リバイバル 妻は二度殺される」(2015)
「orange オレンジ」(2015)
〇こんな話
とある場所でとある法則に則ってとある人間が死ぬ…〇自己犠牲による救済
とある人間の死というものが法則によって決まっており、その死というのは誰かの生(誕生)に繋がっている。しかしその死によって生まれた生はまた法則によって定められた死に抗うことができない。その死はまた次の…つまり死を起点とし、生だけでなく死もまた定められているということになる。死に始まり死に終わる物語…
正直ようわからんのだが…
彼の行いを眺めてみるに、自身の生を以て10年後に死ぬはずだった子どもを救い、自身の死を以て子どもの誕生と親友の命とを救った…ということになる。
彼は自らの命(生と死)を以て2人の命(生)を救ったのだ。これぞ究極の自己犠牲だと言わんばかりに…
これにより死を起点としていた物語が、生を起点とした物語に、また死に終わる物語が、次の生に繋がる物語に姿を変える。
死に始まり死に終わる物語が、生に始まり生へと受け継がれる物語に変貌する。
で、これをどう見るかなんだよね…
1913年のエセキエルが4人を殺し自殺した事件が始まりなわけだが、劇中描かれる10年後の10歳の少年の死を以て一巡するとしている。
また、法則に則って死ぬ人間は転生したエセキエルとしており、罪なき者たちを殺した事への裁き?として彼が殺した者たちのそれぞれの年齢を以て死する(年齢まで生きる)、ということなのだろう…
となると一巡、という意味合いはどうなってくるのだろうか? 裁き(もしくは償い)が完了したとするのか、いや終わりではなく新たなる裁き(巡り)の始まりなのか… 苦しみからの解放を意味するのか、継続を意味するのか。この前提とするところがよくわからないのである。
それ故に、彼の捧げた命…詰まる所の自己犠牲というのが、彼に与えられた救済(赦し)の機会であったのか、そもそもそうなる運命であったのかとするところでスッキリしない。
いや、前者なんだろうけどね。
でもあれなのよね、自己犠牲というのであれば1976年の事件で子供を庇って死んだお話はどう扱われるの?といった疑問も出てくる。
いやまぁ猶予期間が与えられており、彼が真相を理解し受け入れるという段階があってこそというお話が重要なんだろうけど。
そもそも始まりの事件も娘を想ってした行為でしょ。最悪な結果にはなったものの。
ん~それ故に与えられた赦しのチャンスであったのかな?
根底にある宗教観というか、いろいろ含みを持つ表現があるのかもしれないけれど、やはりよくわからんのよね。
罪… sin と crime といった話に通じていたりするのかな?
〇最後に
どっかで観た事あると思ってたのよ・・・そしたら「ロスト・ボディ」の娘さん。
ではでは・・・
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