~強引な犯人像故、トリッキーな作りに~
〇はじめに
劇中で納得されている事柄の意味合いや、ぶつ切りに感じるシーンとそもそも誰に寄り添ったシーンなのか心情の繋がりがわからないところが多々ある...〇想起する作品
「スマイルコレクター」(2007)「瞳の奥の秘密」(2009)
「シークレット・アイズ」(2015)
「ハングマン」(2017)
「THE QUAKE ザ・クエイク」(2018)
〇こんな話
男はみ~んな豚。〇犯人を強引に仕立て上げる
アレクサンドラ・ダダリオ演じるプロファイラーを配置した意味がイマイチわからない。それ故に別居中の妻の存在もぞんざいな気がする。自身の性癖を満たそうと性欲に忠実な男たちは、あの手この手で女の子たちを巧みに誘い出し手籠めにしようとする。彼らにとって女の子は搾取の対象であり虐げる存在である。
そんな犯罪に立ち向かう上で見えてくる男社会の警察組織と、そんな男たちでも切り離すことのできない家族という繋がり。女性や子供は守られるべき存在であると考えを同じにしながら、近くに置いておく者と遠ざけ蔑ろにする者がいる。
また、男社会に身を投じ、男と対等に張り合おうとするプロファイラーの女性。他人の家族を気遣うものの、自身の夫婦関係は夫の浮気で冷めきっており、しかしその関係をなぜか持続させようとしている。
性犯罪者の再犯率は8割にも上るに関わらず、幾ばくかすれば何の対策も施されず社会に戻される。明らかに有罪であろうとも罪に問えないモノもあり、被害者の勇気ある告発も無意味に等しい。
性犯罪者の豚どもが用いる方法を逆手に取り(同じ方法で誘き出し)、私的制裁を加える者たちがいる。法で裁けず警察も動かないことへ憤る現状、彼らを一概に悪とは断定できない。
しかしこれは女性の協力無しには不可能な手段であり、見方を変えれば男が女性を利用しているともとれる。また、新たな被害者を出さないために、被害者が危険に身を投じているという矛盾もあり、信頼に足る男の存在が必要不可欠で、女性は男に守られているとも言える。
この物語は犯罪を起点に浮かび上がる人物たちの交錯がメインであるが、プロファイラーを配置したことで犯人の境遇に目を向かせることに機能する。犯人が犯行へと及んだ背景、及ぶに至った経緯。
彼らはレイプ被害者の子どもであり、且つ被害者であった母親から虐待を受けて来た。男と女の関係の歪みが、親と子の歪みへと姿を変え、また男と女の関係を歪ませたと言える。彼らもまた被害者であったと言え、被害者が加害者側へと周ったということでもある。そして新たなる犠牲者が生み出されていく。
それを受けてそれぞれの人物の男女・夫婦・親子・家族関係を鑑みる・・・
随所に似通った綻びが見られ、一歩間違えれば運が悪ければそれぞれがそれぞれに晒されている状況に転び得た危険が孕んでいる様が見て取れる。被害者に、そして加害者にも・・・
となると、今彼らが晒されている状況というのは一体どこから始まり、どこまで続くのか? 終わりはあるのか?
この雁字搦めで一見不可逆的な状況を断ち切る(逃れる?)一縷の望みとして、相対する実在の人間が必要不可欠である、ということへ繋げるための通過点としての犯人像であるわけだが・・・
犯人に踊らされる過程によって、それぞれの人物の繋がりが見出されていくのではなく、むしろ犯人像がこの作品を通して描きたいもののために踊らされてしまっている。
これにより犯人と警察との攻防の結びつき(犯罪と捜査の因果関係)が弱く、クライムサスペンスとしての楽しみが感じられないのが非常に致命的。
強引に捻じ曲げられてしまった犯人像は、欠かせない存在だったはずのプロファイラーをも霞ませてしまっている・・・
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