~見えないからといって存在しないわけではない~


〇はじめに

 「結局幻覚だろ?」というバイアスをどうにかこうにか乗り越える・・・


〇想起する作品

 「インプラント」(2002)
 「WE GO ON 死霊の証明」(2016)
 「新REC レック デッド・ビギニング」(2016)
 「ドント・イット」(2016)
 「テリファイド」(2017)


〇こんな話

 死後の世界を証明する。...という体。



〇見る

 彼らの見ているモノは、勝手に創り出した幻覚つまり存在していないモノなのか、いやただ見えていなかっただけで常に隣に存在していたモノなのか。


 セラムを投与した者としなかった者、そして投与した者の中での投与量の違いにおいて、幻覚の共有及び異世界への干渉度合いを段階的に描いており、実験という体を為した状態で曖昧なモノへとアプローチしていく様は面白い。

 このプラシーボ?対照実験?が描けていることで、見るという行為の中にも外的内的な作用による意識的な選別と無意識的な選別があることに目が向く様になっており、博士と調合師が苛まれている向き合ってあげられなかった(寄り添ってあげられなかった)後悔へと我々を誘ってくれる。


 シェイプシフターは肉体を食べることで変異を繰り返し人間に近づいていく。失うことのできる命を得るということであり、つまり殺せる。...というのは博士の真の目的と対を為す意味合いもあったわけか??

 「他にもいたら?」と生かされ(投げ出され)た調合師と、自己満足に浸り姿を消す博士。他にもいないわけがないという事実に意識が向くか否かという問題があり、これを受けて博士が利己的な存在として君臨することになるわけだけど、自身の後悔を経てこれからどの様に向き合っていくべきなのか?という問いかけがまたあったりなかったり。

 その他の登場人物も何かしらの記号だったり、そこかしこに暗示があるのかもしれないけれど読み取れなかった。
 


〇最後に

 結局だからその・・・スピリチュアルなお話なわけよね・・・

 ではでは・・・

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