ネイルズ 悪霊病棟 (2017)

2020年5月17日日曜日

2017年の作品 ジャンル:ホラー 製作国:アイルランド 舞台:病院

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~居場所~


〇はじめに

 パッケージから勝手にジュリアン・ムーア主演なんだと思い込んでたけど全く違った(・ω・)  アイルランドも監視社会だったりするの?


〇想起する作品

 「フォービドゥン 呪縛館」(2016)


〇こんな話

 ネイルズを起点として考えるというよりは、主人公を起点に考えるべきなのかな?



〇居場所

 彼女の帰りたいとする家はどこなのか? 家というハコなのか、夫に対する妻としての立場なのか、娘に対する母としての立場なのか、それとも別にどこかあるのか・・・

 ネイルズは彼女を永遠の苦しみへと誘ったのか、それとも苦しみから解放したのか・・・

 彼女の居場所とはどこだったのだろうか? そしてそれは誰が決めるのか?


 主人公はサプリメントに運動にと日々健康管理に努めている。早朝より20キロ(これ本当か?)のジョギングを行い、準備運動にも一切の余念が無い。そんな彼女の走りはとても軽やかに映る。しかし轢き逃げに遭ったことで自らの意志で移動できず声すらも発せられなくなってしまう。そして見舞われる事態…

 病院側は何とも無責任で、問題の解決よりも責任逃れに躍起になるばかり。従業員は必要最低限を下回り切り詰めているようで、業務は滞ってばかり。隅々まで手が行き届かないし、目も行き届かない。


 最初の轢き逃げというのは彼女の不注意もまた一因であると狙っているのだろうか?

…というのも彼女が目の前の信号に絶対の信用を置くことなく、左右を確認していれば防げた事態と見えなくもない。彼女が轢かれたのは、彼女の認識の外からの無意識からの車の攻撃だったからだ。

 交差点を映し出す監視カメラにはその事故の一部始終(車と彼女)が映し出されているわけだが、彼女と車の運転手とは互いに互いを認識することができていない。そこに確かに存在しているけれど認識できていないモノの存在を伺わせる。


 これが彼女の見舞われる現象においては逆転が起きる。彼女は確かに認識しているのだが、周りの人間には認識できない。監視カメラを設置するもののカメラにもその存在は映し出されない。しかし間違いなく彼女は認識している。

 ただ、事故において監視カメラがどう機能したかって話が劇中には無いのよね。事件解決に犯人逮捕に一役買ったというのならまた見え方が変わるんだけど。いやむしろ防犯カメラへの皮肉で、事故の防止に役立っていないとすればもしや…


 父の運転する車で娘が母のお見舞いに行く場面。ランニングをしている女性に母親の姿を重ねる娘の視線がある。彼女にとって母親とはどういう存在なのか。病床に横たわる姿か、軽やかに走る姿か。

 この他者からの視線というのが、自分を客観視するアイテムとなるカメラの存在に通じている。自分がどう見られたいか?というのと、自分がどう見られているか?とするギャップを浮き彫りにしている。自らの顔を見て驚く姿がその象徴だろう。


 どうやら主人公は略奪婚だった様で、彼女は他の人間がいるはずだった場所を奪った人物ということになる。夫に忍び寄る若い娘という魔の手に怯える彼女を見つめてみると、彼女は自らの居場所を奪われる恐怖に苛まれている様に映る。  

 彼女が健康に気を遣うのも、全ては夫を繋ぎとめる手段としての美を維持したいがため。彼女がいくら歳不相応に美しかろうが加齢には勝てない。その焦りからか、彼女の健康管理とは決して避けられない加齢からの足掻きだったのではないか…、と見え方も変わり始める。


 今までの自分の身体(姿)とのギャップに苦しみ、独り病床で孤独を感じている母親(主人公)。

 母親が大変なときだからこそもあろう、子どもに見られたくない娘。

 彼女にとっては何とも無神経な行いばかりだが、父親も心配させまいとする配慮からも困惑は伺える。

 突如見舞われてしまった事態にそれぞれに戸惑う親子。そして病院関係者もまたてんてこまい…

 様々に事情を抱えたモノたちが集い形成される環境(世界)において、見えない見られていないモノたちが常に生まれていて…

 そもそも人間の視野は360度補えないし、しかもその限定された視野内においても見ているモノと見えているモノと見ていないモノとが混在している。最初に何かしらの存在を感じつつも、首をその方向に振れないことから目視できないとする主人公がその示唆だろう。この死角のお話は交通事故へとも繋がる。

 そして採用される彼女の見えない範囲を網羅するカメラ。しかし映らない、彼女には見えているのに。確かにそこにいるのに。自らの傷ついた姿をはっきりと映し出す反面、自らを傷つけるネイルズの姿は全く以て映らない。

 最初の交通事故が防げなかったことを始め、見てほしい自分を誰かが見てくれているとする安心感よりも、見てほしくない自分すら誰ともわからない者に見られてしまう曝け出されてしまうという不安を募らせ、むしろ人々の居場所を奪っているのではないかとする防犯カメラへの訴えがあるのではなかろうか。

 彼女とネイルズを同時に映し出す最後のカメラの映像はそういったところへの皮肉になってるのかな?

 そしてネイルズを前にして誰かに見られていたと彼女は言う。ここでの“誰か”とはネイルズではなく我々。鑑賞者を彼女を覗き見ていた存在へと昇華させる意図があったのかも…


 いや考え過ぎか? カメラをメインとするよりも爪からアプローチすべきだったかもな… 彼女の自分にストイックな性格故もあろう、追い詰められていく様から感情の処理が追い付かず自傷行為へと至ってしまう心理を見つめるべきだったか…

 これ舞台はアイルランドってことで良いんだよね? 現地人は何かしらの社会問題と絡められたりするのかもね。


〇最後に

 この娘でけぇな・・・


 このお腹周りもツボ。


 母の細見に対する娘のこの恵体ってのは狙いがあったのかな?

 ではでは・・・

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