フォービドゥン 呪縛館 (2016)

2020年5月16日土曜日

2016年の作品 ジャンル:ホラー 製作国:アメリカ

t f B! P L


~焦れったい~


〇はじめに

 なんかいろいろどっかで観たことあるな・・・ 洋館ホラーあるある的な感じだよね。


 「アンダーワールド」の雰囲気と変わるね。


〇想起する作品

 「箪笥」(2003)


〇こんな話 

 昔々、失望の部屋というものがあったそうな・・・



〇作品の進行が遅い

 障害を持って生まれた子供は一家の恥であると、その存在を秘密にするために失望の部屋に閉じ込めたという・・・ 

 ん? 結局この失望の部屋とやらはどこに掛かってくるの??

 ざっくりとは事故により娘を死なせてしまった母親が精神を病んでしまったことでの妄想オチなわけなのだが・・・

 イマイチ腑に落ちないのがその館で昔行われていたことに起因する(とされていた)デイナが見舞われることになる怪現象の捉え方よね。

 我々鑑賞者としては失望の部屋にて起きた事件と心霊現象とをすぐにでも結びつけようとしてしまうのだが、どうやらこの作品は事件と現象とを直結させようとはしておらず、これがこの作品を楽しむ上でネックとなる。

 作品が我々に提示する、

  1,怪現象が起きている

  2,失望の部屋というものがあったらしい

 という2点が明かされた時点で、鑑賞者の中では怪現象が起きている前提が出来上がり、思考や興味は失望の部屋に纏わるお話に向いている。

 しかしこの作品はひたすらにそれを焦らす。

  本当に怪現象起きてる?

  それはホントに心霊現象と言える?

  妄想じゃないの?

  モルダー、あなたれてるのよ・・・

 一向に話を進めないのだ。もうこっちで勝手に失望の部屋で起こった何かしらの所為で心霊現象が起きていると結論付けていて現象がなぜ起きるのかという事の真相を探るという次の段階に移行しているのにも関わらずひたすらに焦らしてくる。心霊現象であると認めてくれない、認めさせてくれない。いやそもそも心霊現象があるのかどうかをひたすらに疑ってかかっている。やっとこさその段階に至ったと思えば、それは彼女の妄想やで~と1つの真相が明かされるタイミングであり、と同時にではどこまでが妄想だったの?とする疑問符を絡めてくるから尚更わけわかめになる。

 最後の最後まで怪現象を心霊現象であるとは認めず、さらにはその怪現象自体が実際に起きているのかというところをひたすらに疑った挙句に、実は彼女の妄想でしたとするところに、でも心霊現象でもあったんやで~という今までのまぁそれはゆったりとした展開とは裏腹なチェンジオブペースに困惑の色を隠せなくなる。

 本来鑑賞者が作品に追いついていく、喰らいついていくというのが一般的だが、この作品は鑑賞者が先走ってしまうことで作品を置いてけぼりにする。先走りすぎたことで、ひたすらにマイペースを貫く作品が心底どうでもよくなる。

 よくありませんかね~。何かしらをある程度まで自分で進めていて行き詰ったときにそれを脱却しようと誰かに助言を求めたときに、手っ取り早く答えだけ教えてほしいのに、そこから?ってな丁寧に丁寧に順を追って説明してくれること。これ読めばわかるよとか言って分厚い本渡されたりさ。基礎から応用へのプロセスが大事なのはわかるんだけど面倒臭いんだよね。もうその場しのぎや付け焼き刃でいいのよこっちとしては。

 話が逸れたが、要は鑑賞者と作品とに作品先行ではなくひたすらにギャップがある。作品に待たされている感がすごい。・・・もう早くして!!



〇妄想か心霊現象か

 息子は女の子の幽霊を目撃しているし、ラストデイナもその館の夫婦(主?)を目撃している。そういえば館から逃げる女の子を映し出しており、館に捉えらえているのは大人の方だということがわかる。

 デイナの妄想だと書いたが、正確にはその館の呪いとデイナの妄想とが混同したカタチで描かれていたわけで。で、混同したことで何を描きたかったのかというと、それがよくわからないから問題で・・・

 前項のギャップの構築により現象が館における呪いによって引き起こされているのか、彼女の妄想だったのかというところが滅茶苦茶曖昧になる。デイナが怪現象に見舞われた事は事実であるし、その館において失望の部屋に纏わる事件も実際にあった。ではその現象は殺された子どもの恨みによるものなのか、殺した親の罪悪感がカタチとなって現れたのか。この狭間を見つめるべきなのだろう。・・・か?


〇最後に

 どうしよ・・・


 ではでは・・・


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