~科学と信仰の狭間~


〇はじめに

 ガンマ線バーストの地球への到達時刻を詳細に予測できるの?



〇想起する作品

 「マイノリティ・リポート」(2002)
 「ウォッチメン」(2009)
 「ウォーリアー」(2011)


〇こんな話




〇原因と結果

 鶏が先か、卵が先か・・・

 神が我々を創ったのか、我々が神を創ったのか・・・


 幸せな家庭を築き家族想いであった主人公であるが、妻の死後娘たちから距離を置いてしまう。姉は表向き順風満帆の様であるが、妹はというと薬にどっぷりどん底から這い上がれないでいる。そんな状況を打開すべく、娘たちとやり直そうと断酒し、感情を理性により制御することで人間らしくあろうと、何より父親らしくあろうと努める主人公の姿があった。

 しかし結果として娘を救ったのは、地球を救ったのは、彼を神へと昇華させたのは何だったのか? 守りたかった愛する者の犠牲とそれに伴うひたすらなる憎悪ではなかったか。彼の行わんとしていたこととは真逆のモノではなかったか。   

 行動に伴う原因と結果。その行動というのも何かしらの原因による結果であって。その原因となったものもまた何かしらの…。この原因と結果をそれぞれどこに見出すのか。そしてそれをどのように繋ぐのかというお話よね問題は。

 彼を神へと昇華させたのは憎悪ではなく、その憎しみの果てに見た愛ではないのかと… 真逆の様に見えるのはそれは見る者の意志によるもの。見方を変えれば自ずと見え方は変わってくる。


 結果として彼は神となり地球を救ったわけだが、彼は別に地球を救いたかったわけではない。ただ娘たちを救いたかった、娘たちとやり直したかっただけである。娘を救いたいとする意思が結果として地球を救うことと同義になっただけ。  

 では彼が妻と死別することもなく順風満帆な家族生活を営んでいたらどうなっていたのだろうか。神へと昇華する条件は果たして揃っただろうか?

 そもそも彼が適合者というのは遺伝子レベルのお話であって、つまり彼は生まれながらに地球を救う素質を有していたことになる。では彼が地球を救うこともまた決まっていたのだろうか。だとすると妻の死も娘との離別も全ては定められたものということにならないか。

 だとするのならば、地球を滅亡に陥れる現象、γ線バーストが起きることもまた決まっていなければならない。彼が地球を救うことになるという結果へと至るには何一つピースが欠けていてはならなかったはずだからだ。

 家族の離別は彼の所為ではなく、そして彼を追い込み彼を神へと昇華させるきっかけとして働いた数多くの人間たちも彼ら自身の意志ではないとしたら…

 だとするのならば地球規模ではなく宇宙規模ではたらく何かしらの力が存在するはず。地球を救う力を有する神などはるかに凌駕する力を持つナニカが…

 要はどこまでで括るのかよね・・・

 どこぞの神が守ってくれるとただただ信じ受け身の姿勢でいたけれども、一向に何もしてくれないからと我々で我々の守護神を創造しようと、とある男をGRBから地球を保護できるほどの存在へと変異させるまでの科学技術を有するまでになった…

 これは神の意志か? それとも人間の意志か?

 神は我々を救わないのではなく、それすらもまた神の試練なのではないか…と。

 信仰への問いよね。ヨブ記よ、ヨブ記…

 神を確かなものとする信仰は

 鶏が先か、卵が先か・・・

 神が我々を創るのか、我々が神を創るのか・・・


〇最後に

 愛が地球を救う・・・


 ではでは・・・

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