~犬と人~
〇はじめに
どちらかというと猫派なんだけどね・・・言葉が通じるが故にすれ違い、言葉は通じないが理解し合える。この塩梅が絶妙だったね。すばらしい!!
〇想起する作品
「戦火の馬」(2011)「ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲」(2014)
「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」(2016)
〇こんな話
犬と人間のお話。〇群像劇要素は欲しいな
父親の失業(転落)を深く掘り下げないなど犬目線で人間の複雑な事情に介入しないとする姿勢や、時代の移り変わりを犬を通して観せるという狙いはわかるのだが・・・ベイリーを通した最終的なイーサンとハンナの再会もわかる。しかしできれば転生先の人間たちの交流が観たい。クロスオーバーとまでは行かなくともニアミスで良いから。
特に警察官のところ。寝室には女性とのツーショットが飾られ悲しみにくれていることから離婚とはは考えにくく、おそらく死別したのだろうことを想わせる。そこでのエリーという警察犬の存在なんだ。彼はまた独りに戻ってしまう。彼の笑顔の画が欲しいのよ。
そういったところの補完として飼い主たちのちょっとしたところでの繋がりが描けているともっと安心できるんだ。ベイリーがバディとしてイーサンの元へと戻ったように、彼らの生きている世界は繋がっているのだと。
警察官のところはテレビで犯人とのチェイスを目撃する他の飼い主がいたっていい。殉職した警察犬に表彰があったり記念碑が立ったり別の犬生にてそれを示唆してくれても全然構わない。
イーサンもおそらく何かと街に繰り出すだろう。例えば買い出しに来ていたイーサンと飼い主の誰かがすれ違ったって良いし、イーサンの農場が何を作っていたのかはわからないがその食品だか製品を愛用する他の飼い主がいたっていいだろう。こんな人たちが作っていますとイーサンの写真が映り込むとか…(このシステムは日本だけか?)。
ハンナは一旦街を出たわけだから、転生先の犬生に映りこんだって何ら不自然ではない。
作品の在り方捉え方というのが変わってきてしまう危険性は孕むが、是非とも群像劇チックで観たかった。
〇最後に
吹替えで観たんだけど、「BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」という作品もそうなのだが、1つ言葉というものがテーマとしてあるので、目ではなく耳で理解できる日本語で観ることができてよかったと思う。画にも集中できたしね。正確には声という音によるものに限らず会話(情報伝達手段)によって言葉…いや想いが通ずるか否か(意思伝達が可能か?)・・・とした方が良いかな。ではでは・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿