~たかがゾンビ、されどゾンビ~
〇はじめに
ジャケットの女戦士は出てこないよ。〇想起する作品
「クリミナル 2人の記憶を持つ男」(2016)〇こんな話
ゾンビはゾンビでも・・・〇たかがゾンビ、されどゾンビ
ゾンビという対象をどう捉えるのか?ゾンビに一方的に追われる襲われる母娘を描き出すことで人間とゾンビとの絶対的な隔たりを印象付ける導入は見事。逃げなければ殺られる、殺らなければ殺られる。ここでゾンビは恐怖の対象であり忌むべき対象であると完全にマイナスな感情を先行させる。しかしそれが最後どう変わったか。劇中どう変わっていったか・・・
単純にゾンビ(ないし感染者)を切り捨てる事が感染拡大を防ぎ、全体を生かすのに何よりも最善の方法である。最初の逃亡劇でその感情が真っ先に思い浮かぶのだが、その次の瞬間に目の前で愛する妻(感染者)を警官に排除された男の感情はどのように映ったか。そして自らの手で親友を殺さざるをえなかった男の感情は。その男はどのような道を歩み、いったいどこに辿り着いたのか・・・
単にゾンビだから逃げるもしくは排除するという割り切りから、感染しているからと愛する者が赤の他人に目の前で殺される苦しみ、友人知人のゾンビへの変貌と自らの手による止む無しの排除と、地獄の中にも一縷の望みがあるとしながらの牧師の行いとを経て、究極は自らが変わり果てた姿になる…
…という人間とゾンビとの絶対的な隔たりを曖昧にする線引きを各所に設けていき、人間からゾンビへの距離感を築いていく繋いでいく、行く行くは反転させる物語の構成が見事だった。
〇最後に
人間とゾンビとの見え方が新鮮だったな。ではでは・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿