~郷に入っては郷に従え~
〇はじめに
あ~そのタイプかwww〇想起する作品
「笑わない子供」・・・週刊ストーリーランドにて
「悪魔のいけにえ」(1974)
「スケルトン・キー」(2005)
「蝋人形の館」(2005)
「ストレンジャー・コール」(2006)
「チャイルド・コール 呼声」(2011)
「ヒドゥン・フェイス」(2011)
「ディスコード」(2012)
「ボディ・ハント」(2012)
「アナベル 死霊館の人形」(2014)
「アナザー」(2015)
「ハングマン」(2015)
「10クローバーフィールド・レーン」(2016)
〇こんな話
お人形さん遊びちまちょうねぇ~〇郷に入っては郷に従え
とあるルールが構築され、それが浸透しているだろう環境に新規参入者がどこまで入り込むことができるのか。この線引きの難しさや曖昧さというところをこの作品は巧みに突いてくる。例えば夫婦という形態。その関係が破綻することなく継続しているということは、何かしら暗黙の了解が存在していることを意味する。傍から見たら「これおかしいんじゃないの?」ということでも、彼らの間では当たり前だったり了承・容認されていることなんてのは少なくないのではないか。逆も然りだろう。身内で当然だと思っていたことが外に出たらあれ??と。
家には少なからずルールが存在する。あなたの家にはどんなルールがあるだろうか。食事中は話をしない、テレビはつけない・・・
他人の家につき(しかも初対面)靴を脱ぐシーン。家主及びその関係者からの歓迎が無い中でどのような判断を下せばいいだろうか。ある程度の共通認識を頼りにするべきかもしれないが、その共通認識事態にズレがある場合が一番被害が大きかったりする。
1,土足で入る ➡ 土足OK
2,土足で入る ➡ 土足厳禁
3,脱いで入る ➡ 土足OK
4,脱いで入る ➡ 土足厳禁
どの選択肢が一番リスクが小さいか。1か4に越したことは無いのだけれど、その判断がつかないときにどうするのか。その中で確実なのは2が一番避けたいということ。
他人の家に勝手に土足で入りこんだことでのルール侵害の可能性よりは、一応脱いでおいてのルール侵害の方が断然リスクは小さい。後者の場合は正確には‟侵害”ではないわけだけど。
こちらが相手との境界線を一方的に侵してしまうととられるよりも、こちらの不可思議な行動で相手方が境界線から引いてくれた方が良いという判断。うまくいけばこちらが相手方に気を遣っているともとられる。
ガム占いで核心をつかれた主人公はどのような想いだったのか。
こっからのお人形さん遊びね。どこまでマジなのか?・・・と。夫婦の頭がイカれちまったのか、お人形さんに何かとり憑いているのか、それとも他に何か企みが・・・
他人の事情には直接的に深く介入しにくい、逆に介入されたくないといった心情を描けているからこそのあやふや感よ。お見事。
まぁあれほど大事そうに(逆鱗に触れないようにってのが正しかったのかな?)面倒見ているお人形さんを夫婦が旅行に連れて行かない時点で裏はあるわけだよね。正直幽霊路線は捨てたよ。でもね、それでもってもラストはウケた。
束縛から逃れたはずのその先に待ち受ける束縛。怖え~よ(笑)
〇最後に
どうせならもっと可愛いお人形でやってほしいよ。ではでは・・・
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