~悪魔~


〇はじめに

 ジェームズ・ワンが製作なのか…確かに真相への迫り方、集約の仕方は「SAW」っぽくはあるね。


〇想起する作品

 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」シリーズ 
 「グレイヴ・エンカウンターズ」シリーズ 
 「ユージュアル・サスペクツ」(1995)
 「リーピング」(2007)
 「スピーク」(2010)
 「11:11:11」(2011)
 「エビデンス 全滅」(2013)
 「ホーンテッドテンプル 顔のない男の記録」(2017)
 「アナイアレイション 全滅領域」(2018)


〇こんな話

 ゴーストバスターズごっこしようぜ~!



〇悪魔

 1週間前にとある屋敷にて怪現象の独自調査を開始し惨劇に巻き込まれてしまった若者集団のパートと、現在時間においてその何かしらの惨劇の実態を解明しようと捜査する刑事のパートとを、同時併行で展開することで真相に迫っていく。


 1週間という時差に対し、生き証人による証言とビデオテープによる映像記録とで橋渡しが為されていたわけだが、若者たちが怪現象を実際に体験するだけでなく、その解明にそして他者への証拠の提示として映像を記録することを重んじていた様に、刑事たちもまた証言を軸に映像にて情報を精査及び補完している様を照らし合わせることで、若者たちの観てほしい映像と刑事たちが見たいとする映像とをリンクさせ、彼らの映像証拠に抱いている信用へ説得力を帯びさせる。肉眼では捉えられない霊体をカメラは捉えているというのもそこへの布石か。

 これにより映像証拠に真実を見ようとしていることが際立つわけだが、何もわかっていない段階においても映像証拠を入手した時点で真実への道が開けたという錯覚を覚えさせることに機能している。刑事たちの驕りと言っても良いだろう。生き証人による証言に嘘が混じっていたとしても、映像証拠という絶対的な真実を映し出す比較対象がある以上間違えることはない…と。

 すでに起きた事件に対し捜査というものは後手にならざるを得えず、その時間的な誤差を埋めるべく、真偽の判断を下していくべく指針となる仮説立てが鍵となるわけだが、そもそも仮説を組み立てる段階において、元となる情報事態の真偽はあまり重要ではないことがこの思考の後押しをする。仮説なんてものは結果に対し、解き明かされていく真実に対し、ただ比較対象として機能すればいいからである(さすがに限度はあるよ…)。

 そして駄目を押すのが、主観的事実として機能する生き証人による証言と、客観的事実として機能するビデオテープの映像記録というそれぞれの情報源の性質だろう。いつの間にかにこの2つだけで(…事件現場もか)事件の全容を見渡せるという思い込みができあがっていたことに気付く。


 2つの情報源から事件の全体像を捉える上での輪郭を勝手に定義させ、実はその輪郭形成において重要な仮説を組み立てる段階ですでに前提を履き違えていたと悟らせる。

 自分たちで真実を解き明かしていたと、着実に真実へと繋がる道を築いていた思わせておいて実はただその望むべく真実へと導かれており、その起点となった手がかりの消失により橋げたを外される。

 これにより我々は我々の理解できる真実の中に置き去りにされ、目の前で起こった説明のつけられない現象即ち人間の理解を越える悪魔の所業が際立ってくる…


〇余談

 牛乳受けなんてものがあったことを知らなかった。


 昔は常設だったんだね。



〇最後に

 「エビデンス 全滅」(2013) も是非…

 ではでは・・・

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