~願いは何だ?~


〇はじめに

 勝手に「ルール」シリーズ始動。


〇想起する作品

 「女子高生チェーンソー」(2003)


〇こんな話

 願いを言え、3つだけ叶えてやる。


〇願い

 陰キャと陽キャ(ガリ勉とビッチ)が付き合うという現実味が必ずしも無いかと言われればそこまででもないんじゃないの?という微妙なところで願いが叶うアイテムの曖昧さを演出しており、この辺りは学園ものとしてはおもしろく観れられる。ただそれって王道というかね・・・


 それ故にオチで奇を衒おうとしているわけだが、意外性による驚きよりも何の代償も無い能力に疑問を覚えてしまう。主人公が願いを叶えた代償として惨劇が起こるという思考で勝手に観てしまっているわけだからね。いや一応代償というカタチではあるわけだけど・・・ そもそも殺されている連中が屈強な男に見えなというのもあるがこれはまぁ・・・

 どうせなら願いが叶うのが3つではなく4つだったとかいろいろやりようがあったと思うがね。最後の願いももっと直接的なこと願えばいいのにと・・・。正確には3つではなく、1人3つだったっけか。そして譲渡されるとその権利が移行するってな話もあるのか。でも弱いよね・・・

 まぁこれが何かしらの意図なのかな。何を願うのか。そもそも願いとは何なのか、誰のためのものなのか。過去に自らの願いを3つ叶えた先生がブレッドに願っていた(期待していた)ことがあったがその狙い通りにならなかったから・・・とするオチが示唆なのか。ブレッドもサマンサに恋人のこと含め進路相談受けているし。周りが望んでいることと、自らが望んでいることのギャップに悩む年頃。そもそも望んでいることなんてわからなかったりするわけで。この辺りの描き方はうまかったのかな。

 誰かのためではなく、劇中願ったものは主人公のラストのものも含めて全て自分本位なんだよね。そんな中その願いは自分が本当に望んでいたものなのか、そして望んでいたカタチであるのかとして葛藤するブレッドがいる。如何にカタチだけ取り繕おうと、周りの承認(賛否)があろうと、人の気持ちまでは買えない。

 そういったところを踏まえるとラストの願いは何の代償も無く願いが叶うことへのアンチテーゼともとれるわけか。ただ願ったことが叶ったというのでなく、誰かのための願いを実現するのに必要な力を願う。願ったことが後押しとなっており、最終的なところは自らの力となっている。なんだかんだうまくまとまってるのかな。

 願いは自分で叶える。


〇最後に

 4もタノシミダナ。

 ではでは・・・


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