ショートウェーブ (2016)

2020年6月27日土曜日

2016年の作品 SF:接近遭遇 ジャンル:SF 製作国:アメリカ

t f B! P L


~共鳴~


〇はじめに

 登頂したい...



〇想起する作品

 「フォービドゥン 呪縛館」(2016)
 「メッセンジャー」(2017)


〇こんな話





〇共鳴

 行方不明で生死不明...自らの行いにより娘を失ってしまった事での罪の意識にかられての苦悩...


 抜群のスタイルと美貌を併せ持つ女性の、その美しさの反面...として決して埋めることのできない心の溝の描かれ方は秀逸だと思う。

 しかしそっからがわからん。彼女の心の闇とエイリアンの存在証明とを同等且つ同義に扱っているわけだけど、奴らの存在が証明されたことで彼女の苦悩というところにはどう掛かってくるのかがイマイチ見えてこない。


 電波ってのは見えないけれど、受信機によって捉えることは可能で。信号でそこに意味を見出すことも可能で。しかしそれを聞く者がいなければ、そして理解する者がいなければ、そもそも発信する者がいなければ、そこには何の意味ももたらされない・・・


 ラスト痛々しさが先行するのだが、この肉体的な痛みという感覚は人間間で一番に広く共感できる感覚とでも言おうか。これを、ではそれに対して心の(精神的な)痛みはどうだろうか?とする問いだと受け取る。

 彼女の現実と心象風景との区別が曖昧で、そこにどう意味を見出すのか理解するのかってな話としてみれば...

 周囲の人間と共有すること、周囲に理解されることが難しい彼女の苦しみが、エイリアンによって具現化されたことでその苦しみが確かに存在したと証明されたってなことになるんだろうけど・・・


 見えない声を聞こうとし、執拗にアプローチを続けた研究者に対しエイリアンは「我々に構うな」と激怒する。

 なんだろ? 好きでもないいやむしろ嫌いな奴にちょっかい受けてる感じだったってことだよね。鬱陶しい...うざい... お前には絶対理解されたくない!...みたいな。

 公には見えないけれど確かに存在する自身の苦しみを他者に理解してほしい癒してほしいとするが肉体的にも精神的にもひたすらに内(家)に閉じ籠る彼女の感情と、仲間たちに助けを求めるべくだだっぴろげに電波を垂れ流すが見つかった途端ほっといてくれと怒号を浴びせるエイリアンとの声とが、絶対的に相反するものであるにも関わらずSOSというカタチで共鳴し表出していたわけで・・・


 このラストの解放は彼女とエイリアンとの異種族間での利害の一致によってもたらされたってことだよね。閉じ込められていたというのは両者共に外的要因が大きかったわけで。   

 発信者と受信者の理解するところを同じくしないと…誰が誰に向けて何を伝えたく何を求めているのか?、がわからないと、そこの関係には不協和音が響き渡ることを強調する。  

 最初と最後に夫は妻に対し正反対だから好きになったのだと豪語するが、この対極に位置するモノ同士の共生ないし共存関係、詰まる所の夫婦や家族の関係というか人間同士(同種族)を結び付ける愛というか絆というか…といったところが異種族間の齟齬により際立つのか・・・?

 だから何なんだ? その先が見えんのよ・・・

 話の飛躍のさせ方が間違ってるのかな・・・


 畜生、可愛いな( ˘•ω•˘ )


〇最後に

 モヤモヤするなぁ~


 ではでは・・・


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