インビジブル・シングス 未知なる能力 (2018)

2020年11月6日金曜日

2018年の作品 ジャンル:SF 製作国:ドイツ・ルクセンブルク 能力者:透明人間

t f B! P L

~透明化する女の子~


〇はじめに

 「インビジブル・スクワッド 悪の部隊と光の戦士」(2014) と滅茶苦茶カブる。



〇想起する作品

 「ファンタステック・フォー」
 「キックアス」シリーズ
 「ハリーポッター」シリーズ
 「スパイダーマン3」(2007)
 「インクレディブル・ハルク」(2008)
 「インビジブル・スクワッド 悪の部隊と光の戦士」(2014)
 「ベイマックス」(2014)
 「マックス・スティール」(2016)
 「シャザム!」(2019)


〇こんな話

 「スザンネ」から「スー」へ、「スー」から「インビジブル・スー」へ、「インビジブル・スー」から「ファンタスティック・スリー」へ...



〇透明化という能力

 スーパームーンというスーパーヒーローに憧れる、自称特別な才能など何も無いと自身を卑下する女の子スー。教室に独り残っていても先生に存在を気付かれず鍵をかけられてしまうほどの影の薄さで、彼女は誰からも関心を示されず見向きもされないと自身の平凡さを嘆いている。しかし父親だけはそれを特技であると前向きに捉え、まるでスパイだと彼女を元気づける。

 仕事にばかりかまけている母の関心を得ようと、母の働く研究所(研究室)で父とサプライズ誕生日パーティを企画するがものの見事に裏目に。この時に起きてしまった研究所での事故で、スーは透明になれる力を得る...


 同じ年頃で透明化の能力を得る「インビジブル・スクワッド 悪の部隊と光の戦士」(2014) は服を脱いで裸になってみたり、女子更衣室に堂々と潜入してみたりと、男の子の願望(というか性欲...性癖とも)を顕著に描き出すことで、どこかで誰かが一度は抱いたことがあるだろうタラレバを透明化という能力に投影させ、それを糸口にヒーローという造形をカタチ作っていった。

 この時に(...まぁ正確にはピチピチのスーツを観た時に確信に変わったんだけど)、「あ~これ女の子(Noa Zatta)で観てみたいな」と下心が生まれて勝手に妄想を膨らませていたんだけど、この作品はあちら(男の子)とは異なり、彼女の意志(願望)としてその能力の認識と使用を描いていかないんだよね。


 自身の意志に反し体温変化で能力が発動し、またその能力の使用で極度に疲労してしまう。またこの混乱を解決するに当たり縋るのは、寄り添ってくれていた父親ではなく、研究に明け暮れ自身を蔑ろにしていた母親である。

 異性を意識し始め、また自身の体の変化に戸惑い始める年頃の女の子という前提があり、また飽くまでも彼女の才能や個性の延長上にあるモノ、として透明化という能力を描き出している。


 単純に反転するものではないし、そのまま投影できるものでもないし、そもそもの思考経路が違うよなそうだよなと合点が行きつつ考えを改めつつ、やはり物足りなさが付き纏う。何を期待しているのだか・・・

 飽くまでも彼らが主役であり、少年少女の成長譚であり、それを肯定すべく解毒剤の効能なのであろうし、身近な存在への一面と側面の描き出し方なのだろうしと、応援したくなる作品であったことには違いないのだが。


 ヒーロースーツをさ~もっとこう~


 まだ言うか、しつこいぞ!!


〇アイリーン

 この子かわいかった。



〇最後に

「インビジブル・スクワッド 悪の部隊と光の戦士」(2014) の続編いつ出るねん? そろそろ頼んます。

 ではでは・・・


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