~裁き~


〇はじめに

 さすがに飽きてくるよね・・・


〇想起する作品

 「ハサミ男」(2004)


〇こんな話

 まだ続けるの・・・?



〇裁き

 ホフマンちゃんはちょっとオツムがね・・・


 今作は前作において利己的な者たちに仕掛けられたゲームがジグソウに対して過る。まぁホフマンもまた不適合者だったとされてしまったわけだが、彼は何故道を踏み外したのか・・・

 後継者候補であった2人。アマンダは自身が救済と更生の体現者であり、ホフマンはジョンと同じ境遇であった。シリーズ化を経るごとに明かされた単独犯であったジョンの限界。至る所で後継者候補の助力が必要となっていた。このことから2人の協力は必要不可欠であろうとする兆しの一方で、アマンダはようわからんがホフマンはひたすらにエゴを優先した。というか馬鹿だっただけなんだけど・・・

 結局「人が人を〇〇する」といった構図は善意にしろ悪意にしろ一方的なものでしかなく…とするのはこのシリーズにて何度も?話しているが、ジョンの単独犯であったときと、後継者問題も兼ねて複数でゲームを行っていたときといったいどちらが救済及び更生としては理に適っていたのか・・・といった考えが浮かんでくる。

 今回のゲームは保険屋だかなんだかで、また命の選別を行わせる裁きの仲介が入る仕様に戻っており、自らの選択が他者の生と死に直結する。仕事だからやっていた事であると嘆くが、直接ではないにしろ彼らは人の命を売り買いするというゲームにおいて余儀なくされる選別と同義の事を行っているのである。


 今作はジグソウのゲームにおける裁き(救済と更生)と、他人(ひと)の命を1つ貨幣価値として換算し選別する保険屋とで、人の命を天秤にかけるということを照らし合わせる。様々なジャンルにおいて現状それは誰かしらが行わなければならないわけだが、ではその役目を負う者はいったいどんな人物が適格であるのかを問う。

 1つどんでん返しというほどでもないが、とある人物たちへの見え方もしくは印象(心象)の変化といったものが仕掛けられている。得ている情報からその人たちをどう判断してしまっていたのか当てはめてしまっていたのかと突きつける。得ている情報によっては真逆に捉えてしまうってのはよくある話で。

 このラストに繋げるために、何を基準にするかでその時々で重要度なんて全く異なるってな選択をひたすらしたわけで・・・

 そういったところを踏まえそれが一番問題となっているシステムを考えると・・・

 ジグソウの言う保険会社の話がそのままあるのかもしれないが・・・

 現状法に則って人が人を裁くシステムが敷かれている、というより敷かざるをえないわけだが、では公正な裁きを下す上でどんな人物が適格であるのかと。

 この話を大きく分ければ、当事者と部外者とでどちらが的確に判断を下せるかという話があり、さらには絶対的に揺らがないとする思想を有する個人に委ねるのと、その思想に対して各々解釈がある複数で裁く場合にまた分けられ・・・、ではいったいどれが・・・??


 そういったところまで見通すお話なのかな・・・??


〇最後に

 次回が一応ファイナル。

 ではでは・・・

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