~音~
〇はじめに
これ劇場で観るべきヤツだったな。如何に自分が劇場で音を発してしまっているかを体感できる。あ~でも自分の音ってあんまり気にならなかったりするか…
〇想起する作品
「サドン・デス」(1995)「エール!」(2014)
〇こんな話
夢中で~、頑張る君へ~♪侵略に見舞われたことでなるべく音を出さない様にとする工夫の数々は面白く、反面あれはこれはと疑問もまた湧いてくるのは事実だが、それのおかげもあってこの世界への引きは見事だったと思う。
我慢の世界、抑圧の世界であるわけだけど、それを容易に超えてくる生理現象及びトイレといったものはどうしているのかは見せてほしかったとは思う。
別段気にしなければなんてことはないのに、いざ意識してしまうと急に不安になることってありませんか。
例えば呼吸ね。いざ息をしていると意識すると途端に苦しくなる。
音も同じよね。静かにしなきゃ静かにしなきゃと意識するあまり普段とらない行動が出てしまったことで逆効果になったりと。
作品の中の世界というより鑑賞している側のこういった緊張感が見事だったね。
で、音って何なの?って話なのよね。聴こえるものだけが音なのか?…と。声ってのは音に乗せなければ届きませんか?…と
声を発することができない世界におけるコミュニケーションは確かに不自由を感じるし、声を頼りにできない分すれ違いもまた多く生まれている様に感じる。しかしだからこそ他の伝達手段を以て補おうと努力する姿が見てとれる。それが十分かどうかは置いておいてもだ。
そもそも人間の耳というのは限られた音域(周波数)しか捉えられない。人間が重視する声というものもまたその制限内に留まるものということになる。我々の縋る音、そして声は限られた情報に過ぎないわけだ。
そんな音に依存した世界では見えてこないモノ、脱却して初めて見えてくるモノ。そして同じ様に存在しているモノ、変わらないモノ。
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