クワイエット・プレイス (2018)

2020年3月15日日曜日

2018年の作品 ジャンル:SF ジャンル:ホラー 製作国:アメリカ

t f B! P L

~音~


〇はじめに

 これ劇場で観るべきヤツだったな。如何に自分が劇場で音を発してしまっているかを体感できる。

 あ~でも自分の音ってあんまり気にならなかったりするか…


〇想起する作品

 「サドン・デス」(1995)
 「エール!」(2014)


〇こんな話

 夢中で~、頑張る君へ~♪



( ̄ b ̄) シーーッ!!


〇音 

 普段どれだけ音に囲まれ、音を発して生きているかよね・・・

 ではその音を奪われた世界とはどんな世界だろうか・・・


 侵略に見舞われたことでなるべく音を出さない様にとする工夫の数々は面白く、反面あれはこれはと疑問もまた湧いてくるのは事実だが、それのおかげもあってこの世界への引きは見事だったと思う。

 我慢の世界、抑圧の世界であるわけだけど、それを容易に超えてくる生理現象及びトイレといったものはどうしているのかは見せてほしかったとは思う。


 別段気にしなければなんてことはないのに、いざ意識してしまうと急に不安になることってありませんか。

 例えば呼吸ね。いざ息をしていると意識すると途端に苦しくなる。

 音も同じよね。静かにしなきゃ静かにしなきゃと意識するあまり普段とらない行動が出てしまったことで逆効果になったりと。

 作品の中の世界というより鑑賞している側のこういった緊張感が見事だったね。


 で、音って何なの?って話なのよね。聴こえるものだけが音なのか?…と。声ってのは音に乗せなければ届きませんか?…と

 声を発することができない世界におけるコミュニケーションは確かに不自由を感じるし、声を頼りにできない分すれ違いもまた多く生まれている様に感じる。しかしだからこそ他の伝達手段を以て補おうと努力する姿が見てとれる。それが十分かどうかは置いておいてもだ。

 そもそも人間の耳というのは限られた音域(周波数)しか捉えられない。人間が重視する声というものもまたその制限内に留まるものということになる。我々の縋る音、そして声は限られた情報に過ぎないわけだ。

 そんな音に依存した世界では見えてこないモノ、脱却して初めて見えてくるモノ。そして同じ様に存在しているモノ、変わらないモノ。


 伝えてくださいあなたの想いを…

 届けてくださいあなたの声を…


 今当たり前に存在している世界に少し異なった視点を与えてくれる。シチュエーションスリラーとしての醍醐味は存分に味わえるのではないだろうか…


〇疑念

 1つだけ絶対的に引っ掛かってるのよ。最初の末っ子が犠牲になるシーンよ。なんで一番下の子どもに一番後ろを歩かせるのよ? これが気がかりで仕方なかったよ・・・



 普通子どもは両親で挟まないかな~?? そういう育児方針なのかな? それとも娘への信頼ってところなのかな?


〇最後に

 「ワンダー 君は太陽」で一気にファンになったんだけど、この子良いよねぇ~。


 ではでは・・・


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