~ジグソウの思想への違和感~
〇はじめに
痛え~…〇違和感
前作と同様ゲームの内と外からジグソウへと迫る構図は一緒である。主人公自らジグソウ(ジョン)と対面する事でゲームを行っているが、別に進行しているゲームが存在しているとしている。ゲームであるが故にそれを仕掛けた者と仕掛けられた者とのリアルタイムでの攻防が見どころであるわけだが、今作はひたすらにタイムリミットというところを意識づけている。遅効性の毒に、悪徳刑事にハメられた者たちとその悪徳刑事の息子を密室に閉じ込めたり… 主人公への焦りをひたすらに煽る。煽るったら煽る。
さらには前作においてはゲームに見舞われている2人が現在であり、捜査官たちがゲームの外から時間的な意味合いも含め追いついていくという構図であったのに対し、今作はそれを逆転させている。これにより見えてくるものは何だったのか。
前作同様ゲームにおいてプレイヤーの生死がプレイヤー自身の決断に左右されるだろう一縷の望みがかろうじて感じられる仕様だったかどうか。どこかジグソウの策略が先行しなかっただろうか。ジグソウが決めたであろう結末へとプレイヤーが操られているだけの様に映らなかっただろうか。特には主人公の刑事に対してであるが、ただただ彼をハメるための要素ばかりが際立ってはいなかったか。
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