~殺人ではなく救済~
〇はじめに
シリーズを経るごとにどんどんどんどんジグソウ(ジョン)の格が落っこちていく・・・ これは狙っているのかどうなのか・・・〇こんな話
ボールペンは常に持っておこう!
ってできるか~い!!
〇救済だ更生だ
ゲームの主旨のズレを修正した、ある種原点回帰を見せた前作。今作では目的である救済(更生)に関して説かれている。ゲームは殺人ではなく救済であるのだと。一方的に相手を傷つける復讐ではなく、ゲーム参加者自身を自身の選択(犠牲)によって救わせることでの更生であるのだと。そんな事が可能なのかどうなのか。可能だとして誰がその役目を務められるのか。
2人目の後継者候補ホフマンはジョンに救済された1人目の後継者候補アマンダとは異なり、動機とするところはジョンと同じく身内を殺されたことによる復讐である。今作は3作目におけるアマンダの失敗を受けどちらがジョンの後継者としてふさわしいのかと1つ結論が下されたカタチとなった。ジグソウに救済された者と境遇を同じくする者とでいったいどちらが・・・。
今回仕掛けられたゲームとは利己的な人間たちが助かるためにはどうすべきか・・・といったもので。2作目から参加者の選択によらないゴールの定まったゲームを想わせ、3、4作目において裁きを下すのに仲介者を挟みゲームの主旨とのズレを示したが、今作は仕掛け人がゲーム内には存在しておらず介入しない、参加者の選択によってひとりでに完結する仕様になっている。
全員で助かる道があったにも関わらずそれを全く考慮しなかった者たちの末路を描く事によって、仕掛け人の意志によってゲームが左右されるわけではないとし、殺人ではなく更生であるとする説得力が幅を利かせ始める。ジグソウの仕掛けるゲームの内容自体で目的のズレの修正を図っているのである。
前作で仕掛け人側の主旨を回帰し、今作で実行されるゲームの見直しが図られた。ジグソウからの一方的な善意と悪意であることに変わりはないが、両者が交錯するゲームの向かう先はいったいどこなのか・・・
〇最後に
限界が見えてきてるよね・・・ではでは・・・
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