~差別問題~
〇はじめに
これ話の筋通ってる?? 扱ってる題材から通ってなくても良いってこと?〇想起する作品
「スケルトン・キー」(2005)「シェルター」(2010)
「ユージュアル・ネイバー」(2013)
「インビテーション」(2015)
「セルフレス 覚醒した記憶」(2015)
〇こんな話
警察は無能!!!!T S A!! T S A!! T S A!!
〇差別問題
白人と黒人と、差別の加害者と被害者と、差別主義者と自称非差別主義者と、男と女と、家族と他人と、警察(権力者?)と一般人と…全体的な雰囲気として確かに何かがオカシイと感じながらも、その違和感がそれぞれのポジションにおける見方見られ方を過剰に意識しているが故にバイアスがかかりある種被害妄想に陥って入ってしまったがためのものであるかもしれない…などと核心が持てない。
差別意識の有無と、無意識の差別と。故意によるものと、無理解によるものと。時に差別主義者と非差別主義者の構図がひっくり返ったりもする。区別と差別が混同されその誤解から大きな不和へと発展することだってある。
こういったデリケートな問題があるとして、腫れ物でも触るかの様な外側からの消極的なアプローチの魅せ方は見事。
まぁ見事にあっち系というかそっち系の家族で、一気に内側に引きずり込まれることになるんだけど…
差別意識の根源的なところ。動機…理由…として白人が黒人に抱いている特には肉体的な劣等感に、それ故の恐怖の解消として潜在的な感情から抑圧にかかろうとする、いやむしろそれしか方法が無いってな話は見えてくるんだけど…
作品全体の流れとして話の筋が通ってるか?と疑問が沸き起こり、それが私の中で一切払拭されなかったのが辛かったな。
〇最後に
こういう作品がウケる世の中が良いのか、ウケない世の中が良いのか・・・ 2つに1つってわけでもないんだけどね。ではでは・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿