~RECという皮肉~


〇はじめに

 「REC」事態を根底から否定というか皮肉ったのね。

 もしくはジャーナリズムへの問題提起か・・・


〇こんな話

 ファインダー越しの真実。


〇REC

 1,2作目は「REC」というタイトルに全て“記録(録画)”するという意味や意義があったわけだが、3作目は置いておいて…今作はその1,2作目で“録画されたもの”自体に意味を持たせている。

 舞台を船の上に移し、監視カメラといった俯瞰的視点を組み込むことで、1,2作目に通ずるどこか余所にある事象を観測することで生まれる線引きを新たに構築する。主軸の男とは別にアンヘラのファンであるニックという男の存在がここに一役買っている。


 ニックはアンヘラのファンではあるが彼女の事を画面越しにしか観たことがなかった人物である。この画面越しとは1作目で撮られた様な編集されたモノ、都合の良い部分をツギハギした言わば彼女の“公”の部分であり、より彼女という存在が惹きたてられたモノである。故の雲の上の存在、手の届かないところにいる人、憧れの人。これは彼が我々と同じイチ視聴者であることを意味している。この彼の視点こそが鑑賞者とアンヘラそして作品との橋渡しとなる存在である。

 そんな彼とアンヘラが同船し手の届く存在となるのだが、彼女はというと隔離されており、例え同じ空間に存在していようとも壁が構築されていることになる。しかし彼はそんな壁を監視カメラを用い彼女の“私(プライベート)”の部分覗き見ることによって1つ取っ払っている。しかしそれは現物ではない。画面越しと現物とではまだまだ絶対的な壁が存在する。


 そんな彼に今度は生アンヘラを見るチャンスが舞い込んでくる。ここから物語が一気に動き出す。最初は素っ気無いアンヘラだがその関係はどのように変化していったのか・・・   

 画面の中の雲の上の存在アンヘラに憧れるだけだった男ニックが、同じ空間に手の届くところに彼女の存在を実感し、さらにはプライベートなところまで覗き見ることができるだけでなく、生身の彼女に対面でき、最初は素っ気無いものの吊り橋効果なのかどうなのか互いに窮地を脱する中、お猿入刀という初めての共同作業を経て彼と彼女との関係は一気に加速する。




 しかしこれだけで終わらないところがまた粋。さらなる皮肉を用意している。オタク気質である一番にアンヘラから縁遠いだろう存在が初めての共同作業を経ての逃避行・・・

 結婚式(もしくは結婚披露宴…いや駆け落ち?)が終われば次は何が待ち受けるのか?


 ハネムーンである・・・  前作の舞台のとある家族の結婚披露宴、そして添い遂げられなかった2人の想いを、ニックとアンヘラの関係性に落とし込んだのだ。

 この一連の2人の男女の関係性及び距離感の変化こそが、「REC」シリーズで一貫している現実と虚構の狭間への落とし込み、言わば橋渡しとして機能している。

 

 そして後部座席に乗り込む2人をパーティの帰りと認識する人物が描かれるが、これは2人をカップルか何かと勘違いしているのはもちろん、この2人にしかわからない知り得ない世界があるとする絶対的な壁の構築でもある。また言い換えるならばこれこそが2人を絶対的に繋ぎとめる楔とも…

 当初存在していたニックとアンヘラとを隔てる壁。ニックという存在がアンヘラへの橋渡しとなったと書いたが、ラストはこの運ちゃんがまた2人と同期した我々鑑賞者とは別に存在する外の者に見立てる事でまた別に展望させている。我々が共に見て来たものを運ちゃんは全く以て認識していないのである。これはどういうことか、これをどう感じたか。   

 1,2作目とアパートでの出来事をしっちゃかめっちゃか描き、3作目にして別の場所でも起きてたんやでと共通する世界観を構築(拡張)し、今作でわざわざ船上でワクチン研究という要の部分を描き出し、世界は確実に着実に終焉へと向かっているのだと描き出したにも関わらず、最後ののほほんとしたタクシーなのである。

 リポーター、カメラマン、警官と全てを記録する事を重んじた、「REC」という趣旨を強調した1,2作目。それを受け3作目では全て記録する義務があるとイキったカメラマンのカメラをぶっ壊しさらには初っ端で退場させ、人を助けるという行動においてその意志を受け継いだはずの若者にカメラをそっと置かせる。この4作目では、そうやって苦難の道を経て託された意志(記録“REC”)が、シリーズを通しての唯一の解決策とする希望であったにも関わらず…ナニソレ?おいしいの?状態なのである。


 アパートの爆破作戦に始まり、主であった戦場のワクチン研究はもちろん、事を内密にしようと隠蔽しようとする力を今作は際立てていた。シリーズとして‟REC”が真相を究明する…解を導き出す上で要であったわけだが、それが全く外の世界に浸透していなかったと観せる。

 目の前の人を助けることと、真実を映し出すこととの葛藤が度々話題に上るが、当にこの作品はそこを訴えたいのではなかろうか・・・と勘ぐってみる。


〇最後に

 おもろかった・・・かな?

 ではでは・・・


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