ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生 (2018)

2020年1月27日月曜日

2018年の作品 ジャンル:ファンタジー シリーズ:ファンタスティック・ビースト 製作国:アメリカ 製作国:イギリス

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~動物たちは脇役~


〇はじめに

 こいつの憎めなさは堪らんよね。



〇こんな話

 これだとファンタスティックビーストたちがサブだよね?  



〇動物たちは脇役

 「スター・ウォーズ」エピソード4~6の後にエピソード1~3を追いかけた時の様な時間経過と逆行する利便性の向上とインフレ具合に戸惑いつつも、魔法世界に浸らせてくれる感覚は心地良い…


 ニュートは動物たちと接するに当たり、魔法は使用せず彼らの習性を理解した上でアナログな手法で寄り添う。これは前作で丹念に描かれており、今作でもその姿勢は貫かれている。その反面のニフラーへの容赦の無さもまた同様。

 なのだが、この肝心のファンタスティックビーストたちがお話を展開する上で付属品にしかなっていないのが少々気になる。


 期待しているのはユーモア溢れる動物たちとの触れ合いを中心に据えたお話なんだよ。前作で事足りているとしたのかもしれないが、どうもニュートの動物たちの扱いが単なる便利ツールぐらいにしか感じられない。これではニュートもまた動物たちを使役している様に映ってしまわないか。

 彼らの結びつきというのは、物質的なモノで結ばれた主従関係ではなく、心を通わせたことによる信頼関係なわけでしょ。

 グリンデルバルドは共に助けに来た魔法動物をどう扱ったのか?

 それに対しニュートはサーカス団に囚われていたズーウーをどうしたのか?

 この違いによってもたらされるモノをもう少し明確に描き出してほしい。彼らだからこそできることをもう少し小気味好く描いてほしい。

 グリンデルバルドに捨てられた動物たちが、魔法使いへの信用や忠誠を無くしていく中、真摯に向き合おうとするニュートには心を開いていく…みたいな件があってもよかったと思うが。


 言葉が通じるが故の確執と対立。言葉は通じないけれども心を通わせることができる魔法使いと珍獣たち。この人間模様と動物たちとの交流をもっとうまく絡めることができたら、というより動物たちとの触れ合いを起点として人間模様へと落とし込むことをしていかないとダメだよね。

 結局魔法使いたちでストーリーをカタチ作るしかない現状がなんともなぁ・・・



〇最後に

 作品の位置づけとして難しかった部分もあるのだろう…次回以降に期待する。

 ではでは・・・

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