~RECだけどRECじゃない~
〇はじめに
元々何部作構成だったの? それによってこの作品の見方も変わってくるよね・・・〇想起する作品
「ザ・フィースト」(2005)「BEFORE DAWN ビフォア・ドーン」(2012)
〇こんな話
普通にゾンビ映画やり始めた・・・〇スピンオフないしパラレルワールド的なノリで楽しむ
前2作の補完としてのこの作品、そして何よりPOVでどうイジってくるのかと期待したことだろう。かくいう私もそうだった。しかし蓋を開けてみたら・・・シリーズという期待もありPOV方式が枷となる中、いっその事そんなものは取っ払ってしまって、劇中の人物たちに対して結婚披露宴という衣装なり武器なりに制約を与えゾンビサバイバルを繰り広げさせようとする開き直りは評価すべきところなのだろうか・・・
そのおかげでコメディとして楽しめるんだけど、このジャンルの昇華は望むべきカタチだったのか?
日本で言うかks…失礼、JASRACに当たる人間が描かれている。結婚披露宴に覆面で使用曲の調査に来たのだとか。何とも抜け目ない。
彼は結婚披露宴という浮かれた空気を地獄へと叩き落したゾンビを余所に我々を現実に引きずり戻す。
それに対しこの男・・・名をスポンジ・ジョン
子どもたちを喜ばせようと著作権に苦しむ男である。結婚披露宴においては何とも愛くるしい存在だが、衣装の下が裸だと抜かし地獄と化した式場においても自らの衣装を頑なに主張する。その姿はゾンビを差し置いて浮世離れしている。
搾取する者と搾取される者(…正確には搾取されまいとする者か)との正反対の存在が同じ様な風貌で花婿側と花嫁側にそれぞれ配置され、さほど活躍もせず死んでいく。これは偶然ではなかろう。
どちらを応援したくなったか?
どちらに哀愁が漂っていたか?
この2人の男の対立にこの3作目の気概を見る。共通する世界観ではあるが、今までとは別の場所における別の物語であると。そして何よりもPOVの脱却である。「REC」だけど「REC」じゃないという開き直り。「REC」というシリーズに縛られず、鑑賞者の「REC」という勝手なイメージをぶち壊そうとするこの吹っ切れ様は見事である。
その肝心のPOVの脱却においてカメラをぶっ壊した勢いはもちろん堪らないんだけど、何より人を助けるためにカメラを置いている画があるのがまた巧みよね。カメラ撮ってる場合じゃねえだろ!!という怒りの反面、冷静さを兼ね備えていたとし見せたのは策士だと思う。
しかしどこまでをマジに作っているのかがわからないところが散見される。POVにおいて散りばめたそれぞれの人物における特徴を、後々回収していくことで笑いに変換する術は巧みだが、それは単にウケを狙っているだけなのか、次に向けた設定ないし伏線なのかといったところが見極められない。
例えば補聴器の件なんてのは笑うところなのだろうけど、憑かれる前の人間の状態に能力は依存するみたいな設定って無かったよね? これって悪魔化ないし憑かれるという状態における設定としてぶっこんでるのか、それとも単に笑いを重視しただけなのか…といった疑問を抱かせるのよね。
〇最後に
はてさてどうやって完結させるのか・・・ではでは・・・
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