~オリジナルを準えながらのリメイクとしての路線変更~
〇はじめに
ぴ、POVかこれ!? リメイクの意義はあったのか・・・?〇想起する作品
「0:34 レイジ 34 フン」(2004)「11:46」(2006)
「グレイヴ・エンカウンターズ2」(2012)
〇こんな話
オリジナルの「REC」を準えながらも、リメイクとしての路線変更を試みた結果・・・〇改悪の様に感じるがどうだろうか?
POVであるってな認識が途中から無くなるんだよね・・・カメラマンが黒子に徹し過ぎていて、その場にいて現象に見舞われているはずのカメラマンという人間が途中から見えなくなる。時折のイベント参加でカメラが置き去りになったり鼠を踏みつぶしたりカメラで殴りつけたりってな演出で再確認はさせるんだけど、どこかとってつけただけの様でしっくりこない。これは何かを意図していたのだろうか?
「REC」という作品として初めてこの作品を観るならまだしも、オリジナルを観た人間にとってはベースを全く同じくしているとする意志を導入から主張されるが故に、これから未曾有の事態に見舞われるはずの登場人物たちの顛末がチラついてしまう。
これから何が起きるのか?とするハラハラがウリであるにも関わらず、それがPOVによって増長されるのが楽しみであるにも関わらず、単に決まっているゴールに向かって、話を準えているだけというイメージが先行してしまう。彼らはこれから起こる事態見舞われる事態を知っておりすでにそれに対する役者として演じる備えができていると見えてしまうのである。
オリジナルにおける導入として機能していた現実と虚構の狭間が全く以て機能していないのである。
しかしオリジナルを受けての我々ならもう少しうまく観せるとする意志は汲み取りたい。
収録における表と裏、準備や打ち合わせと使える画やインタビューとの線引きがこちらの方が曖昧になっており、取材対象に親身になり互いに打ち解け合っている様がとても好印象。このおかげで素の人間が映し出されるし、彼らもまた同じ人間であるという身近な存在に思え、カメラを通して消防隊員たちの仕事を追体験するという入りはスンナリ行っている。
初めの出動に帯同できないとニアミス感を観せるのもうまかったのだが、上にも書いたがオリジナルを準える意志が強すぎるのが仇になったいる。
アパートに入ってからの住人と消防及び警察と取材クルーとでの対立においても、住人の全員が全員現場に居合わせていたわけではなく、部屋におり事態を把握していない人物がいたとする事で、彼らという人間も浮き彫りにしようと試みていたりする。
所々の繋ぎの部分はうまいなと関心するものの、オリジナルにおけるハプニングに見舞われる初々しさ(…って言うのかな?)が皆無なのが残念。
まぁそれもオリジナルありきで観るか否かってな話が一番に大きくあるんだけど・・・
ありきなら何かしらもう少し見せ場は考えてほしかったかな。
〇最後に
次作の展開が異なる様なので、一応リメイクとして踏まえるべき点をチェックしようと鑑賞した次第。とりあえず悪魔憑きではなく、バイオテロという線で行くようだ。ではでは・・・
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