~もう少しシュールな笑いの提供を心掛けてくれてれば~
〇はじめに
何だかんだ良かったとは思うが、一本の作品として収めるには扱う範囲を広げ過ぎた。〇こんな話
無限の住人…〇日常を描けていれば
ひたすらに続く斬り合い(チャンバラ)の中、体に沁みついてしまった“肉をひたすらに切られても骨を断つ”という戦い方で万次の年季を観せようとする試みは評価したい。・・・が、何分一辺倒なのが辛い。それよりも日常の2人の姿におけるシュールな笑いの方を徹底してほしかった。急いでいるのに武器を落としてしまい拾いに戻るシーンは◎。こういうところなのよ、本当に欲しいのは。万次はどこにどうやって大量の武器を隠し持ち歩いているのかとする当然の如く表出する疑問への期待に応えていかなければいけない。
戦闘においては魅力のある多彩な武器が、日常生活においてはどう機能するのか。孫の手の代わりに、物干し竿に、串焼きに使ったって・・・といった日常生活における便利ツールであるとか。歩いている時にモゾモゾしていたり、座るときに何か気にしていたり座りなおしたり、用を足している時にふと足に落としてしまい突き刺さった結果小便を引っ掛けてしまうとか、逆に面倒な面も持ち合わせていると観せるのだって良い。
万次の過ごした時間、生きてきた時代というものを、知恵や苦労が日常に帰している様で描かなければいけなかった。ほんの些細なところだけでも描けていればこの作品に持つ印象はガラリと変わっただろう。
〇無限の住人
命に限りがあるから強くなろうとする。相手を殺すためもそうであろうが、何より自らの命を守るために腕を技を磨くのである。言わば生きるための戦いである。それが死なないとなったらどうなるのか・・・ 最愛の者を亡くした最初の万次もそうだが、彼は何のために戦っているのか・・・ 生きるためか、死ぬためか・・・
“肉を切らせず骨を断つ”が戦いにおいて理想であるが、実際問題“肉を切らせず”を重んじれば“肉を絶つ”が精一杯ではなかろうかと。一対一であれば体力の削り合いも望むところだろうが、実力に差がある…あるいは多対一となるとまた状況は変わってくる。それに万次は大概の事では死なない。それを受けての万次の“肉を切らせて骨を断つ”という戦法である。ひたすらに切られ傷つきひたすらに相手を切り殺す。
この場数を踏んだことで沁み込んでいるだろうものをひたすらに続く戦いの中で観せようとした試みは最初にも書いたが評価できる。
逸刀流という一芸に秀でた集団はこの万次との対比だろう。そこまで厳格ではない様だが、彼らは人が一生において一本の道を極めるという象徴である。果たしてその道とは人独りの人生で辿れるほど短いのか長いのか。辿り着いたとしてそこで終わりなのかどうなのか…。その疑問への1つの解として、流派という枝分かれはあれど継承という手段を見せるべく道場破りを描いている。
万次の多彩な武器使用もこれとの兼ね合いで。自身で腕が鈍るばかりだと言っているが、道を極めることは時間的には可能だが、それをする根源的なところでの意味が彼には無いという矛盾を抱える。そこに割って入ってくる凛という存在なのだが、彼女が彼女で微妙な立ち位置になってるのがまたなんとも言えずもどかしくあるのである…う~む。
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