~ティーンホラー~


はじめに

 男の子なんだね。ポスター見た感じ、てっきり女の子だと思ってたよ。



〇想起する作品

 「ハリー・ポッター」シリーズ
 「ミラーズ」シリーズ
 「インシディアス」シリーズ
 「ウーマン・イン・ブラック」シリーズ
 「13日の金曜日」(1980)
 「キャンディマン」(1992)
 「インプラント」(2002)
 「スケルトン・キー」(2005)
 「ファイブ・ガールズ 呪われた制服」(2006)
 「イントルーダーズ」(2011)
 「ジェサベル」(2014)
 「ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄」(2015)
 「ミラーズ 呪怨鏡」(2015)
 「死霊館 エンフィールド事件」(2016)
 「エクリプス」(2017)
 「スレンダーマン 奴を見たら、終わり」(2018)
 「十二人の死にたいこどもたち」(2019)


〇こんな話

 スペードの女王、スペードの女王、スペードの女王...



〇そういう年頃

 事故で妻を亡くし、子どもたちの引き取り手もいない中、葬儀に参列しないどころか一向に姿を現さない父親とは一体ナニモノなのだろうか?(...現実にはいたのかな?)

 姉オルガと弟アルチョムは、義理の父親であり本当の父親である男の姿を見ることなく全寮制の学校に預けられることになる。



 その学校はというと、不倫し母親を捨てた父親に腹を立てているキリル、仕事にばかりかまける母親に構ってほしいアリサ、無神経な母親にダイエットを強要されるソニア、奨学金をもらい学校が拠り所なドビー...と、大人たちの都合(事情)に振り回され、またそれによりコンプレックスを抱える子どもたちが集う場所であり...

 彼らはというと、年齢故大人の保護下に置かれており、しかしその年齢故それを束縛ないし虐げられていると一方的に感受してしまっている子どもたちである。周囲の人間が思うほど子どもではないし、自身が思うほど大人でもない微妙なお年頃な者たち。


 そんな境遇に苦しむ者たちの中で、“アルチョムの姉であれ” とする周囲の期待と信用から逃れたいオルガと、“アルチョムの姉である” とする自身の責任を放棄できない、いや放棄しないオルガ、という娘であり姉でもある2つの側面を描き出し、

 大人になりたい、大人として認められたいとする意志の反面、大人とみなされるやそれを嫌い、まだ子どもでありたい、いや子どもであるが故の...

 という、彼女の置かれてしまった立場...立たなければいけなくなった場所の不確かさ故の苦悩や葛藤、孤独を、スペードの女王を寄り添わせることで表出させていく様は実に見事だった。


 いわゆるその時代の流行に沿った(流行を創り出す?)ティーンホラーなんだけど、使い古されただろうブラッディ・マリー伝説が、ロシアではスペードの女王伝説として今ブームになってるのかな? いやこっちが元祖なのかね?



〇スペードの女王に関して


逸話として・・・、

 未婚のオボレンスカヤ夫人が児童養護施設を開き、そこで19人の子どもが死んだ

 それは我が子を蘇らせるための悪魔との契約で生贄

 それを知った村人たちが彼女を髪を切りながら撲殺した

 彼女は復讐に村人たちの子どもを皆殺しにした


校長の話によると・・・、

 オボレンスカヤ夫人の息子は他の子どもたちにいじめられており殺された

 夫人はただ悲しみにくれていただけで、何もしていない

・・・。

 大人の保護下にある子どもたちから見える景色は、一面ないし側面に過ぎないってことの補足としての伝説の齟齬だと思うんだけど、鏡の中の世界の実態を経て尚、この2つの話は反対の事象どころか噛み合ってすらないと思うんだけど、これでいいのかな?


 この撲殺を見てた女の子がバレンティナ(校長)?...と思ったんだけど、事の起こりは1888年で、年齢的に合わず、


 全員死んだと言いながら、子どもたちも生きてるんだよね。この並べられてる遺体ってむしろ大人たちで。


 伝説に関してはよくわからんかったな。まだ何か謎が残されているのかもね。

 「ミラーズ 呪怨鏡」(2015) がもう1つのスペードの女王の物語なんだけど、あっちはどうだったんだっけな? 忘れちゃったよ。


〇最後に

 ブラッディ・マリー伝説とどちらが先なんだろうね? これが一番気になりますわ。

 ではでは・・・

このブログを検索

Wikipedia

検索結果

アーカイブ

QooQ