ディフェンス~


〇はじめに

 ジェイク・ギレンホールもさすがなんだけど、これはフォレスト・ウィテカーがいてこそだよなぁ~。



〇こんな話

 過去を取り戻す物語ではなく、未来を見据える物語...


守れなければ...

 何も無かったところからではなく、全てを手に入れた後(のち)その全てを失ったところからの再起の物語...


 試合直前の控室、リングへと送り出し、試合中リングサイドに座り、またリングからの帰りを待ち、試合後誰もいなくなった控室で誰よりも彼のことを心配する、番でありある意味親でもある、常に彼に寄り添い支えとなり守ってくれた妻を失ったきっかけは少なからずビリーにある。彼が抑えられていれば最愛の妻を失うこともなかったかもしれない。


 自業自得とも言えよう彼の行動からこの作品は終始煮え切らない。しかしその煮え切らなさがティック・ウィルズとの出会いから徐々に徐々に徐々に活きてくる。浮足立っていた彼が、ほんとうに少しずつではあるが着実に着実に着実に地に足ついてくる。

 ディフェンスを疎かに怒りで拳を振るう乱暴なスタイルから、しっかりとディフェンスを固める基本に忠実なスタイルへの移行。ボクシングというビジネスから戦いへ。


 必殺技ってのは最後まで取っておくものなんだ。そしてまず何より自分を守れてこそなんだ。単に怒りでフルスイングしていたときとは違う。着実に相手の攻撃をガードし、外し、ジャブを効かせながら確実な好機を伺う。

 彼をリングへと送り出す妻はいない。リングサイドに妻は座っておらず、窮地に後押しの声援を送ってくれない。試合後彼の帰りを待つ妻もい
ない。彼はいったい何のために戦うのか。


 妻がいた席になぜ娘を座らせないのか。彼「を」守る者ではないからである。彼「が」守らなければならない者なのである。ここにビリーの意志を見る。

 最後控室での娘との一幕。記者が大勢かけつけ、会場中では彼の名が叫ばれる。全てを手にしていたときと状況が同じだが、違いは一目瞭然だろう。


 チャレンジャーとしてタイトル戦に望み、タイトルを手にしたら次は何か。防衛戦である。彼は今までも様々な力を駆使し挑戦者を撥ね退けてきた。商業価値のある彼を支える多くの者たちがいてだ。では今は? これからは?

 ミゲルとの戦いはクライマックスではない。彼は失ったものを全て取り戻したわけではない。やっと一つ手にしたに過ぎない。それをこれから守っていかねばならないのである。ただ一歩踏み出したに過ぎない。いや、やっとスタートラインに立ったに過ぎない。

 彼の本当の戦いは、これからだ。


〇最後に

 あの右フックでスイッチしての左アッパーってのは誰か使ってる人いるのかね? ボクシングあまり詳しくないものでね・・・

 ではでは・・・

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