~I can't ~
〇はじめに
また新しいゾンビ映画ブームが来てるのかな? 鑑賞ペースだけでなく、教養と理解が追いついていかないのが悶々とする。〇想起する作品
「ブラインドネス」(2008)
「ロスト・アイズ」(2010)
「ブラインド・フィアー」(2013)
「サンズ・オブ・ザ・デッド」(2016)
「ベイビー・キャッチャー」(2017)
「EVIL エヴィル」(2018)
「クワイエット・プレイス」(2018)
〇こんな話
視力を奪われた男と妊婦の、できないが先行する2人が織り成すゾンビサバイバル。
〇見えないできない
墓地の傍に停車した救急車の中で目覚めた男。彼は人間が一番に情報の拠り所とする視力を奪われており、従来であれば難なくできただろうことが、現在の彼にとっては一苦労。いやそれどころかできないし、そもそも気付くことすらできない。彼は音を頼りに、自身で音(声)を発することで助けを求め状況を把握しようとする。また手錠でストレッチャーに拘束されており、何やら事情がありそう...
彼の無線を聞きつけ駆けつけようとしてくれたのは、その日を最後に休職(辞職?)する大きなお腹を抱えた身重の警察官。彼女はダブルベッドで朝独り目を覚まし、母の留守電に耳を傾ける。父親の具合が芳しくないそうな。早々にハンデを補う頼みの綱である車を奪われ、徒歩を余儀なくされる...
男性においては、盲目であることはもちろん、始まりが墓地であること...火事から生還したこと...(妻子を殺害した)容疑者であること...滴るほどの目薬...、
女性においては、身重でありながら夫(父親)の影が描かれないこと...お腹の子が男の子であること...、
...といったところで何かしら含みを持つのだろう。
盲目な男の視点に寄り添わせ極度に狭い世界(視野)へと誘い、見えていようと極端に行動とその範囲が制限される相棒を描き出し、また両者リアルタイムな情報を有していないとすることである種探索系のお話へと落とし込む様は見事。
最適解及び最短距離を眼前にしながらスルーする彼と、それを選択できない彼女へのお供は何とも焦れったくあるのだが、それを即断即行できる人間であったなら、かつての彼らであったなら立ち止まらなかっただろう場所、辿らなかっただろう道や順路を経ることで、当たり前にある...見慣れているはずの景色の中に、今まで気にも留めていなかった世界の存在が垣間見えてくる。
これは「見えない」から「見える」を見つめ、目が見えていたときには見えなかったモノ、「見える」が故に目を向けられなかったモノを見つめ直す物語...
これは「できない」から「できる」を見つめ、「できた」が故に「できなかった」こと(=「できない」ことへの理解や、「できない」人に寄り添うこと)を見つめ直し、「できること」を模索する物語...
これは彼の「死」ではなく「生」を、彼の「過去」ではなく「今」を見つめる物語...
ただ、所々その状態へと至る過程が削られているのと、あまりにもラッキーが多すぎるのは瑕...
〇最後に
ある意味で、盲目であったのはこの作品を眺めている者たちであったのかもしれない...、とするメッセージも狙ってるのかな?
ではでは・・・
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